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三島豊/三島食品社長の経歴や学歴は?家族はどんな人?

ふりかけの「ゆかり」で、知られる三島食品の社長三島豊氏。

三島豊社長が就任したことで、三島食品のビジョンが変わり営業成績も上がりました。

三島豊氏は、どんな経歴や学歴があるのでしょうか。

プロフィールと共にチェックしていきましょう。

ちゅうこ
ちゅうこ
三島豊社長の提案によって、営業成績が上がったとする改革って、気になりますね。

三島豊/三島食品社長の経歴は?

<三島豊氏の経歴>

1978年 4月 京都セラミック株式会社(現:京セラ株式会社) 入社
1981年 8月 三島食品株式会社 入社
1984年 3月 同社取締役社長室付部長 就任
1986年 6月 同社専務取締役 就任
1989年 3月 同社取締役副社長 就任
1992年 4月 同社代表取締役社長 就任
2016年 1月 株式会社ミシマホールディングス代表取締役社長(現) 就任
2017年 4月 三島食品株式会社代表取締役会長(現) 就任
2019年12月 当社社外取締役(現) 就任

2017年に三島食品株式会社代表取締役社長に就任した三島豊社長は、社長就任後、2つの改革を行います。

まず、社内に残る「社の方針」に囚われて自由な討論ができない風潮を変えていこうという働きかけを始めます。

創業者の哲男氏は、保守的でトップダウンの経営手法を取っていたので、三島豊社長は、「おばけ退治」と銘打って、非効率なものを改善していきました。

「おばけ」というのは、創業者の意志とは関係なく、形骸的に残っていた指示の名残です。

創業者の考えを全て覆すのではないというところは、創業者であり父親でもある哲男氏への敬意を感じますね。

2つ目の改革は、「掟破りをしよう」でした。

社員達の自由な発想を促すための活動です。

三島豊社長は、自らが先頭を切って掟破りな発案をしました。

が、幹部たちから「社の方針にそぐわない」と反対されます。

三島豊社長は、今までの掟は破っても構わないと一歩も引きませんでした。しかし、この一件から社員達の意識に少しずつ変化がみられるようになりました。

徐々に新しい発想が提案されるようになってきたのです。

今では、既成概念にとらわれない商品開発や、他社とのコラボレーションが数多く発案されています。

三島豊社長は、2015年ある勉強会に参加したことがきっかけとなり、同社を「食品産業のサービス業」と名乗るようになりました。

その勉強会で「多様化する顧客のニーズに対して、サプライチェーン全体でどう対応すべきか」という課題を突きつけられます。

今までのような「食品メーカー」としての枠組みでは、クレームを減らすことや値段を下げることくらいしかできないということに気づいたのです。

“メーカー”という枠組みを外すことで、商品流通における川上、川下両方に向けて、新たな取り組みを仕掛けていくことができるのではないかと考えました。

“モノ”を売るということから“コト”を売ることにシフトしたのです。

2016年には、株式会社ミシマホールディングスを設立し、本格的に「食品業界のサービス業」としての体制を整えました。

その後は、事業自体に大きな変化があり、市場規模が拡大していきました。

単に、商品を売るということに基準を置くのではなく、メニュー提案など商品に関連したサービスに事業としての価値を持たせるようになりました。

同じように、生産者に対しても、提供できるサービスの範囲を広げられるではないかと考えています。

2021年、三島食品株式会社のふりかけ4姉妹に初の男性の名前が登場し、ネットで話題になりました。

  • 赤しそふりかけの「ゆかり」
  • 青じそふりかけの「かおり」
  • ピリ辛たらこの「あかり」
  • カリカリ梅の「うめこ」

そして、初の男性名「ひろし」が登場しました。「ひろし」は、広島県産の広島菜を使ったふりかけです。

一時は売り切れ続出で、入手困難になるほどの人気ぶりでした。

ネット上では、「うめこ」と「ひろし」は、兄弟なのか、いとこなのか、恋人ではないかといった関係性まで話題になりました。

他にも、庶民のふりかけを、スタイリッシュな贈り物に変身させたことでも話題になりました。

厳選した原材料を使用し作られたふりかけを、スティック状で原色を使ったおしゃれなデザインの個包装して、詰め合わせた「オリジナルギフトFURIKAKE」を商品化したのです。

伝統を守りつつも、若い力を存分に引き出して進化を続ける三島食品株式会社は、三島豊社長の改革によって変わりました。

これからも遊び心満載の商品やサービスを生み出していくのでしょう。

三島豊/三島食品社長の年収は?

三島食品社長の三島豊氏の年収はわかりませんでした。

<三島食品の年代別平均年収>

年収に関する情報は少なく不確かです
平均年収 425万円 社員の平均年齢 36.1歳
(引用元:Yahoo!しごとカタログ)

同社のホームページによると、大卒の初任給は20万円です。

三島食品株式会社のビジョンは、「おいしさがつなぐ縁づくり」です。

様々なお客様との関係を深めることによって、商品だけではなく、お客様にとって必要なサービスや情報の提供など、お客様により幸せになって頂くための行動をとっていこう、という思いが込められています。

お客様を大切にしているから、消費者からも長く愛され続けているのでしょうね。

三島豊社長は、同社の強みを、新たなアイデアを創出するB面活動だとインタビューで答えています。

B面活動とは、自分が好きなことをする活動です。

ちなみに、A面活動は、通常業務だそうです。所属部署に関係なく、社員は自分が考えた商品アイデアを持ち寄って形にしていきます。

納期もノルマもありません。失敗してもいいんです。

他にもお菓子メーカーとコラボレーションをしたり、赤しそ味の飴を作ったりと、自分の得意分野や興味のある分野で力を発揮しています。

B面活動を積極的に楽しんでいる社員達は、自ら進んで勉強をしたり、情報を集めたりと、商品化するために何が必要なのかを自分で考えて行動しています。

B面活動は、新商品の開発だけでなく、人材育成の意味も持っていることになりますね。

三島豊社長の本当の狙いは、自主性を持った人材育成にあるのかもしれません。

三島豊/三島食品社長の学歴は?

三島食品社長の三島豊氏の最終学歴は、東京大学大学です。

出身大学

三島豊氏は、東京大学大学院金属材料専門課程を修了されています。

食品関係とは全く異なる分野の勉強をされたのですね。

出身高校は?

三島豊氏は、修道高等学校を卒業されています。

同校は、広島県広島市にあり、県内でも有数の名門の男子校です。

三島豊/三島食品社長の思想や座右の銘は?

三島食品社長の三島豊氏の座右の銘は、『思ったことは必ず実現できる』です。

中村天風氏の著書「成功の実現」の中にあった言葉だそうです。

それ以来、1つの問題を徹底的に解明して、根本的な原因を解決するようになったそうです。

そうするうちに、問題はたくさんあっても根本的な原因は同じというものが、かなりあると気づき、問題解決が楽になったと三島豊社長は、語っています。

また、ジョンソンエンドジョンソン日本法人の社長の講演会でも、人生設計は紙に書いておいたら、実現するという話を聞き、さっそく実行に移します。

そうすると、不思議なことに、全て叶っていたそうです。

紙に書いて、繰り返し、潜在意識に落とせば行動も伴い、実現できる、と社員達にも伝えているそうです。

三島豊/三島食品社長の自宅は?

三島豊氏のご自宅についての情報は、公開されていません。

有名企業の2代目、華麗な学歴・経歴を見ると、立派なお宅にお住まいなんだろうと勝手に想像してしまいます。

三島豊/三島食品社長の家族はどんな人?

三島豊社長は、1954年1月生まれの67歳です。
出身地は広島県です。

三島食品創業者哲男氏の次男です。

趣味は、ピアノ、散歩、ゴルフ、乗馬だそうです。
芸術系やスポーツ系と幅広い趣味をお持ちで、三島豊社長の多彩さが私生活でも輝いてますね。

三島豊社長の家族についての情報は公開されておりません。

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まとめ

  • 三島豊社長の学歴から、優秀な学生だったことが窺えます。
  • 三島豊社長は、社長就任後、掟破りな自由な発想ができる会社へと変えていきました。
  • 三島豊社長は、2015年に参加した勉強会がきっかけで、同社を「食品メーカー」ではなく、「食品業界のサービス業」と名乗るようになりました。
  • 三島豊社長は、社員が自由に商品開発ができるような環境を整え、自主的に動ける人材を育てています。
  • 三島豊社長の座右の銘は、「思ったことは、必ず実現できる」です。