野党最大政党・立憲民主党の代表を務めているのが、枝野幸男衆議院議員です。
枝野幸男衆議院議員は、1964年5月31日、栃木県宇都宮市生まれの57歳です。
世襲議員が多い政界では珍しく、サラリーマン家庭に生まれました。
東北大学法学部を卒業し、弁護士として東京で働いていました。
1993年に政治の世界へ進んで以来、衆議院議員選挙に9回当選しています。
東北地方太平洋沖地震発生直後には、内閣官房長官として、不眠不休で記者会見に臨み続ける姿を、今でも覚えている方が多いのではないでしょうか。
そんな枝野幸男衆議院議員の経歴や学歴、評判をチェックしていきましょう。
枝野幸男の経歴は?
1986年 東北大学法学部 卒業
1988年 司法試験 合格
1993年 日本新党候補者公募 合格(初当選)
1996年 第41回衆議院議員総選挙に当選(2期目)
2000年 第42回衆議院議員総選挙に当選(3期目)
2003年 第43回衆議院議員総選挙で当選(4期目)
2005年 第44回衆議院議員総選挙に当選(5期目)
2009年 第45回衆議院議員総選挙に当選(6期目)
2012年 第46回衆議院議員総選挙(7期目)に当選
2014年 第47回衆議院議員総選挙(8期目)に当選
2017年 第48回衆議院議員総選挙(9期目)に当選、立憲民主党の代表に就任
枝野幸男衆議院議員は、東北大学法学部を卒業しています。
1991年から弁護士として働いた後、1993年に政治家になりました。
細川護熙元首相が立ち上げた日本新党に論文を提出し、約150人の応募者の中から選ばれました。
所属政党は、日本新党に始まり、民主の風、新党さきがけ、旧民主党、民主党、民進党、旧立憲民主党と変遷しています。
そして現在は、立憲民主党の代表になっています。
所属してきた各党においても、さまざまな役職を歴任してきました。
新党さきがけ時代には政調副会長・女性局長・法務部会長・埼玉幹事長、民主党時代には幹事長・幹事(男女共同参画担当)・政策調査会長・行政刷新担当大臣・憲法総合調査会長等、菅内閣および野田内閣時には内閣官房長官・「沖縄および北方対策担当大臣」兼行政刷新担当相・「経済産業・原子力経済被害担当大臣」兼「原子力損害賠償支援機構担当大臣」、民進党時代には憲法調査会長・代表代行を務めています。
党の業務や選挙を指揮する幹事長に何度も選ばれていることから、党内で信頼され、実力も備わっている方だとわかりますね。
枝野幸男の学歴
宇都宮市立峰小学校 卒業
宇都宮市立陽東中学校 卒業
栃木県立宇都宮高等学校 卒業
東北大学法学部 卒業
枝野幸男衆議院議員は、地元の栃木県宇都宮市で高校まで進学しています。
小学校で児童会長、中学校で生徒会長を務めました。
中学の生徒会長選挙では、体育館の2階踊り場から全校生徒に投票を強く訴えた逸話が残っています。
その熱意で、もともと劣勢だった生徒会長選挙で当選を果たしました。
この頃から、政治家としての頭角を現していますね。
高校は、偏差値70超えのトップ校・県立宇都宮高等学校に進学しています。
校内の弁論大会で3年連続優勝しており、発表したテーマは環境問題や労働問題等の高尚なものでした。
その時すでに「いつかは政治家になりたい。」と同級生に話していたとのことです。
大学受験の時には、東北大学に合格した場合は弁護士に、早稲田大学に合格した場合にはジャーナリストになると決め、受験に臨んでいます。
目標設定通り、東北大学法学部に進学して弁護士になりましたが、もしジャーナリストになっていても、強い熱意と社会に対する関心から敏腕記者になっていたかもしれませんね。
枝野幸男の政策や思想は?
【枝野幸男の政策・思想】
- 生活の現場から暮らしを立て直します
- 1日も早く原発ゼロへ
- 個人の権利を尊重し、ともに支え合う社会を実現します
- 徹底して行政の情報を後悔します
- 立憲主義を回復させます
枝野幸男衆議院議員は、自身の政治思想を「リベラルであり、保守である」と語っています。
「和を以て尊しとなす」という言葉があるように、お互いに支え合う日本らしい精神を大事にしています。
同時に、ただ協調を良しとするだけではなく、個人の自由を尊重して多様な価値観を認めることも重視しています。
自由放任の自己責任論ではなく、お互いの支え合いを大切にすることから、リベラルと保守を同時に掲げています。
この政治思想を裏付けるように、公共事業による景気対策より失業・社会保障対策が必要だという主張を持っています。
個人の自由に関しては、初当選時から選択的夫婦別姓制度実現を公約として掲げています。
他にも、自民党や公明党等が推進する、マンガやアニメ等の表現規制法案の問題点を審議で追及し、国民の表現の自由を守ることに努めています。
また、党名の由来である立憲主義も大切にしています。
立憲主義は、権力の暴走や独裁等を憲法で食い止め、個人の自由と人権を守るという考え方です。
立憲民主党は、日本にこの立憲主義を回復させ、国民がお互いの違いを認め合い、ともに支え合うことができる社会の実現を目指しています。
枝野幸男の評判は?
枝野幸男衆議院議員に対しては、政権交代の実現を期待する声が寄せられています。
また、個人の多様性や自由を尊重しながら、社会で人々が支え合って行けるような政策の立案を期待し、応援している人もいます。
枝野幸男の派閥は?
枝野幸男衆議院議員は、かつて旧国民民主党時代に凌雲会(りょううんかい)という会派に属していました。
党内の保守系グループとして、枝野幸男衆議院議員・仙谷由人・前原誠司等が中心になって結成しましたが、立憲民主党結成後は消滅し、現在は懇親会として存続しています。
その他には、チベット問題を考える議員連盟・恒久平和のために真相究明法の成立を目指す議員連盟・超党派の愛煙家国会議員からなる議員連盟「もくもく会」に所属しています。
枝野幸男の家族はどんな?
枝野幸男衆議院議員の家族構成は、妻と双子の息子の3人家族です。
妻は、枝野和子(えだの かずこ)さんです。
成蹊大学を卒業し、日本航空国際線の客室乗務員として働いていた経歴の持ち主です。
和子さんの父親が弁護士で、その友人の紹介で枝野幸男衆議院議員と知り合っています。
1998年に結婚した時、枝野幸男衆議院議員が選択的夫婦別姓を認める民法改正案の提案者であることから、二人も事実婚をするのではないかと注目されました。
最終的には、和子さん自身の希望で法律婚をしています。
枝野幸男氏の息子は、現在中学生の双子です。
枝野幸男衆議院議員と和子さんが、2002年から不妊治療を行い、計10回の体外受精と6度の流産を経験した後に生まれた待望のお子さんです。
長男に軽度な難聴があることもあり、長男と次男は別々の学校に通い、それぞれの個性に合った環境で学校生活を送っているようです。
また、長男はプログラマー、次男は弁護士になりたいという夢を持っています。
次男が、枝野幸男衆議院議員と同様に、弁護士から政治家になるという将来もありえるかもしれませんね。
↓自民党総裁岸田さん!
まとめ
- 枝野幸男衆議院議員の年齢は、1964年生まれの57歳で、栃木県宇都宮市の出身
- 枝野幸男衆議院議員の学歴は、東北大法学部卒業、弁護士を経て議員へ
- 枝野幸男衆議院議員は、1993年日本新党の候補者公募に合格して以降、衆議院選挙に9回当選している
- 枝野幸男衆議院議員の思想は、個人の自由や多様性の尊重を重視しています。また、立憲主義にもとづいた政治を目指している
- 枝野幸男衆議院議員は、旧国民民主党時代に党内の凌雲会に所属
- 枝野幸男衆議院議員の家族構成は、妻、双子の息子の3人家族