芸能人有名人

飯田結太/飯田屋社長の経歴や学歴は?家族はどんな人?

飯田屋は創業98年という歴史を持っているかっぱ橋商店街にある料理道具専門店です。6代目社長の飯田結太氏は、一緒に働く従業員を誰よりも信頼しています。

それには、飯田結太社長の経歴に隠されているようです。

どんなお人柄なのか、学歴や家族についてもチェックしていきましょう。

ちゅうこ
ちゅうこ
飯田結太社長の考え方とっても素敵!

飯田結太/飯田屋社長の経歴は?

<飯田結太氏の経歴>

2009年 飯田屋 入社
2011年 飯田屋を料理道具専門店に全面転換
2019年 飯田屋 6代目社長 就任

2009年は、リーマンショックの煽りを受け、飲食店が次々と閉店に追い込まれ、「お客様」を失ったかっぱ橋商店街でも、閉店が相次いでいました。

飯田屋も大打撃を受け、売上は落ち込み、従業員は次々と辞めていきました。

飯田結太社長が学生時代に起業していたWEB制作会社は、順調に伸びていっていましたが、5代目社長の母親が苦しんでいる姿を見て、一緒に何かできないだろうかと考え、母親に飯田屋入社を願い出ます。

こうして飯田結太社長は、商品知識もない、経験もない世界に足を踏み入れます。
ここから、飯田結太社長の壮絶な挑戦が始まります。

入社当初、飯田屋は創業98年という歴史を持っていました。当然飯田結太社長には、重すぎる看板です。

落ち込んだ売上を戻すため、最初に手掛けたのは、安売り作戦です。

他店は、みんなライバルだ、他店より1円でも安いほうが、お客さんは来てくれるはず。

そう信じ、従業員に他店の価格を探るように指示を出します。

同業他社の価格調査はタブーとされていて、ベテラン従業員たちは、やめるように、飯田結太社長にアドバイスしますが、聞く耳を持ちません。

安く売るためには、安い商品を仕入れなくてはなりません。

飯田屋の商品は、国産から韓国産、そして中国産と、どんどん安くて品質が劣るものばかりになっていきます。

これで、お客さんが増えるだろうと思っていた飯田結太社長ですが、増えたのはクレームばかりでした。

そして、ついには、飯田屋を信頼してくれていた長年付き合いのあるお店からの連絡も途絶えてしまいました。

飯田屋は完全に信頼を失ってしまいました。

そして、離れていったのは、お客さんだけではありませんでした。
身近な従業員までも離れていきました。

苦しい状況の中で、もがいていた飯田結太社長に、転機が訪れたのは、和食店を営むお客さんからの「この店で食材を一番柔らかくおろせる卸し金はどれ?」という質問を受けた時でした。

メーカーに問い合わせたり、自分で使い比べたりして良かった商品を提案しました。

すると、高額にもかかわらず、即決で購入してもらえたのです。

そうか!お客様が求めるものを提供したらいいのか。

そこから、飯田結太社長は、商品を徹底的に研究し始めます。

お客さんが求めているものは何か、なぜその商品を探しているのか、お客さんの事をしっかり見て考えるようになりました。

飯田結太/飯田屋社長の年収は?

残念ながら、飯田結太社長の年収は公開されていませんでした。

<飯田屋の年商>

1997年に3億7千万円の売上を記録。
2008年のリーマンショックの煽りで売上は1億円まで落ち込む
2018年には、売上を3億円まで戻す。

2011年からは、少数在庫・多品種展示を始め、お客さんの多様なニーズに答えられるようになりました。

更に、様々な商品を使い比べて、そのデータをインターネットで紹介したところ、一気に人気店になりました。

業績は順調に伸び始めましたが、この頃の飯田結太社長には、まだ心に余裕がなく、従業員を怒鳴りつけてばかりいました。

従業員は次第にミスを隠すようになり、どんどん萎縮していきます。

そして、辞めていくのです。

仕事は増えているのに、従業員が足りない。
雇用してもすぐに辞めてしまう。
自分は悪くない、従業員の努力が足りないんだ。

飯田結太社長は、どんどん追い込まれ、ストレスで体調に異変を感じるようになってきました。

そんな状況を見かねた母親の勧めで、あるセミナーに参加します。

そこで得たアドバイスをもとに、飯田結太社長は、従業員に対する考えを変えます。

そして、真の経営者とは、お客さんを幸せにするように、従業員も幸せにしないといけないんだと気づきます。

その後は、従業員と関わる機会を増やしたり、彼らを信じて任せていきます。

そんな努力もあり、従業員8名と小規模ながら、売上高が3億円を超える、かっぱ橋商店街を代表するお店になりました。

飯田結太/飯田屋社長の学歴は?

自らの肩書を「料理道具アドバイザー」とするほどの、料理道具マニア

仕入れた商品は、必ず自分で試して比較してから、店頭に並べるほど、道具に対して強いこだわりを持っています。

そして、料理道具を知り尽くし、その素晴らしさを伝えるため、数多くのメディアに出演しています。

今や飯田屋の名物社長となった、個性的すぎる飯田結太社長は、どのような学歴の持ち主なのでしょうか。

出身大学

明治大学商学部商学科を卒業されています。

大学在学中に、ビジネスコンテストで優勝した経歴があります。

その時の賞金を元手にして、大学2年生の時に友人とWEB制作会社を起業をしました。

 

熱心に取り組み、やりがいを感じるようになってきたそうです。

そのうち依頼も少しずつ増え始め、軌道に乗り始めました。

しかし、飯田屋入社を決断し、会社は譲ったそうです。

コンテストで優勝して、起業するなんて、学生時代から優秀だったんですね。

出身高校は?

私立本郷高等学校を卒業されています。

来年、創立100周年を迎える歴史ある高等学校です。

飯田結太社長は、100周年記念事業に参加し、卒業生のメッセージと在校生へのアドバイスを寄稿しています。

飯田結太飯田屋社長の思想や座右の銘は?

「目の前のお客様を大切にする」

お客様だけではなく、一緒に働く従業員を誰よりも信頼するという、飯田結太社長の決意でもあります。

「3ない営業」

飯田屋は、ノルマ・売上目標・飛び込み営業を行いません。

数字に振り回される経営はしていません。

だから、経営目標もありません。

「売らずにつなぎ合わせる」

飯田結太社長は、従業員たちに「売るな。」と言っています。

お客様の話をしっかりと聞き、その人にとって必要なものは何かを理解して、道具を「つなぎ合わせてほしい。」と伝えています。

お店側の都合で、商品を勧めるのではなく、お客様のニーズに合った商品を紹介してくれるんですね。

行ってみたくなりますね。

「記憶に残る幕の内弁当はない」

これは、AKB48などのプロデューサーとして有名な秋元康氏の言葉です。

入社当初、飲食店で使う様々な道具を扱うお店でした。これだけ揃っているんだから大丈夫だろうと考えていた飯田結太社長ですが、お客さんから意外な言葉を耳にします。

ここは、何のお店なの?分からないからよそに行こう。

品ぞろえには自信があった飯田結太社長はショックを受けます。
「こんなに揃えてるのになんで?」「どうしてお客さんは、店内に滞在してくれないんだろう。」

商品の種類が多すぎて、結局何が飯田屋の強みなのかが分からなくなっていたのです。

売れるお店にするには、人々の記憶に残る特徴が必要なんだと、飯田結太社長は気づきます。

「人が働くのは、自分と家族の幸せのためです。経営者の仕事とは、従業員の幸せのために働くことです。」

母親の勧めで参加したセミナーで言われた一言です。

この言葉がきっかけで、飯田結太社長の考えは変わり始めました。

飯田結太/飯田屋社長の家族はどんな人?

1984年生まれの37歳、実家は、葛飾区堀切という生粋の江戸っ子です。

結婚をされていて、3人のお子さんがいます。

2013年生まれの息子さんと、2015年生まれの娘さんと、もう一人お子さんがいますが、誕生年は不明です。

賑やかな家庭なのでしょうね。

まとめ

  • 飯田屋社長の飯田結太氏の最終学歴は、明治大学商学部商学科卒業
  • 飯田結太社長は、2009年に当時5代目社長で母親の飯田敬子に頼み込み、飯田屋に入社
  • 飯田結太社長は、入社当初、安売りしたら儲かると考え、質より価格を重視した結果、クレームばかり増える
  • 飯田結太社長は、老舗の看板の重さに耐えながら、試行錯誤を繰り返し続けた。
  • 飯田結太社長は、たくさんのメディアに出演し、道具の素晴らしさを伝えている