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牧野明次/岩谷産業会長の経歴や学歴は?家族はどんな人?

岩谷産業の牧野明次会長は、入社当時から業績不振の会社の立て直しの業務を請け負うことになり今の地位を気づきました。

牧野明次会長の素晴らしい経歴や考え方をチェックしてみましょう!

ちゅうこ
ちゅうこ
誰もが一度は目にしたことがあるだろうあのカセットガスのメーカーの岩谷産業の会長がどのような経歴を持っている人なのか注目ですね。

牧野明次/岩谷産業会長の経歴は?

<牧野明次氏の経歴>

1965年 4月 岩谷産業株式会社 入社
1966年 9月 同社 営業部へ配属
1987年 4月 同社 名古屋支店長 着任
1988年 6月 同社 取締役 市委任
1989年   アメリカの化学企業に 出向
1990年 6月 同社 常務取締役 就任
1994年 6月 同社 専務取締役 就任
1996年 4月 同社 取締役 就任 岩谷瓦斯株式会社 代表取締役 就任
1996年 6月 岩谷産業株式会社 取締役 退任
1998年 6月 同社 取締役副社長 就任
2000年 4月 同社 代表取締役社長 就任
2004年 6月 同社 執行役員 就任
2012年 6月 同社 代表取締役会長 兼 CEO 就任

岩谷産業の牧野明次会長は、大学卒業後、岩谷産業株式会社に入社した。

配属先は希望していた営業部ではなく、営業所で大量のボンベをトラックに積み込み発送するという重労働の部署でした。

しかし、周囲の励ましもあり1年半ほど耐えて懸命に働き、その頑張りが認められ営業部へ配属されます。

1970年代後半、岩谷産業株式会社は労使闘争が激化し、牧野明次会長には会社の未来を危惧していました。

政治家への転身の誘いもありましたが、会社に残ることに決め、まずは労使闘争を終わらせるために組合委員長に就任します。

協調路線に舵を切り、長かった会社と組合の争いを終わらせることに成功しました。

次の牧野明次会長の任務は、低迷する名古屋支店の支店長としてこの支店の売上を上げることでした。

社員の士気を上げるため、積極的に自らが動きます。

すると、18支店中17位の業績だった名古屋支店が、1年後には1位になったのです。

1989年アメリカの老舗の化学企業に出向しそこで、水素を安価で製造する方法を学びます。

帰国した牧野明次会長を待っていたのは、当時業績不振であったガス・化学品部門の立て直しの仕事でした。

アメリカで学んだ技術が生かせると意気込んだものの周囲の同意が得られず、岩谷瓦斯株式会社に転籍となります。

しかし、ここでも牧野明次会長は能力を発揮します。

業績不振にあえいでいた岩谷瓦斯株式会社の業績を立て直し、本社に呼び戻されます。

そして、2000年岩谷産業株式会社の代表取締役社長に就任します。

しかし、時はバブル崩壊で業績不振の企業が溢れていました。

どの企業も自社が生き残ることに必死でした。

牧野明次会長の就任後の初仕事は、やはり会社の立て直しでした。

まず、牧野明次会長が目を付けたのは、子会社の岩谷住宅産業株式会社と他4社の戸建て住宅事業からの撤退でした。

この子会社は、創業者が設立した会社で、赤字続きではあったが、メスを入れにくい事業でした。

しかし、牧野明次会長は意を決して当時の会長に相談、承諾を得て、2002年に岩谷産業株式会社は戸建て住宅事業から完全撤退します。

牧野明次会長は、本業の工業用ガスやプロパンガスの事業に集中することに決め、関連会社の状況を調べ、判断を下します。

そしてなんと代表取締役社長に就任してから3年間で66もの関連会社を清算します。

しかし、ここで止まっていては、会社の存続に関わります。

牧野明次会長は、更にスピード感を持って本業に力を入れます。

2004年には、関西電力株式会社と堺LNG株式会社3社の合弁会社である株式会社ハイドロエッジを設立します。

同社は、国内初の商業用液化水素製造拠点として2006年4月営業運転を開始し、近畿地方を中心に日本全国に水素を供給しています。

その後も、水素ステーションの拡充や安定供給のためのプラント増設など今後需要が増えるであろう水素ビジネスに力を入れています。

牧野明次/岩谷産業会長の年収は?

2014年 1億4,500万円
2015年 1億4,700万円
2016年 1億5,900万円
2017年 1億5,400万円
2018年 1億6,400万円
2019年 1億8,100万円
2020年 2億9,000万円

引用元:IRBANK

岩谷産業の牧野明次会長の年収は、2014年から1億を超えています。

堅調な経営を続ける岩谷産業株式会社なので役員報酬も右肩上がりですね。

水素関連事業をいち早く始め、環境問題に取り組んでいる同社は今後どのように変わっていくのでしょうか。楽しみですね。

<岩谷産業の年商>

2017年3月期 4,077億円
2018年3月期 4,809億円
2019年3月期 5,087億円
2020年3月期 4,729億円
2021年3月期 4,410億円

引用元:2021年3月期 岩谷産業株式会社有価証券報告書 売上高は親会社単体

コロナ渦で親会社である岩谷産業株式会社の売上は、減りましたが、利益は増加しています。

主力のLPガスの販売は、季節や輸入価格の変動に左右されやすくなっているが、総合エネルギー部門では、事業用・産業用LPガスの販売が好調であったことや、LPガス市況の好転など良い材料がみられた。

同社がいち早く参入した水素ガス事業関連事業は、異業種企業と共同で様々な試みに参加していて第2の柱にしたいようです。

また、マテリアル事業でもバイオマス燃料など環境商品の販売が増加しています。

現状では、設備投資に収益が追いついていない状態ですが、環境問題は待ったなしの状態なので、水素需要は今後更に見込まれます。

ただ、同社がいかに収益につなげるかが今後の課題となります。

牧野明次/岩谷産業会長の学歴は?

業績不振部門の立て直しに長けている牧野明次会長の学歴について調べてみました。

出身大学

大阪経済大学経済学部を卒業しています。

父親が医師だったこともあり、幼いころから医師を目指して勉強に励み、医学部を受験しましたが、結果は不合格でした。

しかし、経済学部には合格していたため、経済の道に進むことに決めます。

出身高校は?

大阪府立八尾高等学校を卒業しています。

明治28(1895)年に創立された歴史ある高等学校です。

卒業生には、政治家やスポーツ選手、アナウンサー、音楽家など幅広い分野で活躍された有名人が名を連ねる文武両道の高等学校です。

牧野明次岩谷産業会長の思想や座右の銘は?

「次は水素の時代が来る。いずれ飛行機も水素で飛ぶ時代が来る。」

岩谷産業株式会社の創業者、岩谷直治が牧野明次会長の入社式で語った言葉です。

半信半疑で聞いていたそうですが、なぜか心に残っていて、後に牧野明次会長が水素に注力する原動力となります。

「何事にも辛抱してみなさい。下働きの人を知らないで仕事はできない。
勉強して、辛抱しないとどこに行ってもいい仕事はできない。」

入社後すぐに配属された部署の仕事が辛くて辞めようと考えていた時に、叔父から言われた言葉で、牧野明次会長は、この考えを大切にしています。

「人間は戦わずして進化はしない。だから何事に対しても戦う姿勢が必要です。戦う気持ちがなくなったら、会社も社員もすべて駄目になる」

無用の戦いをする必要はありませんが、やはり戦う気持ちや闘争心がなければ、人は向上しないと思うのです。

座右の銘「右受左授」

牧野明次会長の父親が恩師にもらった掛け軸にそう書いてあったそうです。

父親にその言葉の意味を聞くと、「先生方や諸先輩方から自分が受けた教えや様々な事柄を、次の人たちにきちんと渡していくこと」という意味だと教えられたそうです。

父親は「自分が受けたものは、更に磨きをかけて全て次の人たちに渡さなければいけない。人間は、欲を出しては駄目。欲を持てば強欲になる。欲は捨てて、ちょうど良いぐらいの欲になる」と話してくださったそうです。

牧野明次/岩谷産業会長の家族はどんな人?

1941年9月14日生まれの80歳で、大阪府東大阪市出身です。

結婚されていてお子さんとお孫さんもいます。

1950年代、結婚前に奥様と慕情というアメリカ映画を一緒に観に行ってこの時に、この人と結婚しようと決めたそうです。

牧野明次会長は、自身を恐妻家だと話していました。

奥様は、最強で神のような存在だそうです。

夫婦仲が良さそうな幸せなご家庭のようですね。

まとめ

  • 岩谷産業牧野明次会長の最終学歴は、大阪経済大学経済学部卒業です。
  • 牧野明次会長の経歴は、苦労の連続でしたが、持ち前の明るさと機転の良さで業績不振部門の立て直し何度も成功させています。
  • 牧野明次会長は、アメリカで水素を安価で製造する手法を学びました。
  • 牧野明次会長は、今までの経歴を評価され、2000年岩谷産業株式会社の代表取締役社長に就任します。
  • 牧野明次会長は、本業に集中し岩谷産業株式会社の強みをさらに強化しました。