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高橋伸昌/江戸清会長の経歴や学歴は?家族はどんな人?

横浜中華街にある江戸清の会長高橋伸昌氏。

高橋伸昌会長の経歴は素晴らしいですが、江戸清を建て直すには大変苦労があったようです。

コロナ禍に客足を伸ばした江戸清会長の高橋伸昌氏の経営方針をチェックしていきましょう。

ちゅうこ
ちゅうこ
江戸清の会長高橋伸昌氏って、どんな風にして困難を乗り越えたのか、気になりますね。

高橋伸昌/江戸清会長の経歴は?

<高橋伸昌氏の経歴>

1982年 野村証券株式会社 入社
1994年 株式会社江戸清 入社 事業部長 就任
2000年 同社 代表取締役社長 就任
2019年 同社 代表取締役会長 就任

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高橋伸昌会長は、大学を卒業後、野村証券株式会社に入社します。

ノルマが厳しいことで有名な同社で、戸惑うこともありましたが、仕事は面白く、高橋伸昌会長は自分の性に合っていたと語っていたように同社で、どんどん才能を開花させます。

数年後には、同社内でトップセールスマンとなり、組合の執行部にも所属していました。

複数の支店で勤務をして、支店長が目前というほど、社内でも一目置かれる存在になっていました。

 

そんな時、実家の江戸清で問題が生じ始めました。

事の発端は1970年代、高橋伸昌会長の父親が代表取締役社長だった時に、オイルショックが起き、世界経済が大混乱に陥りました。

もちろん、その影響は日本経済にも深刻なダメージを与えます。

当時、江戸清には高橋伸昌会長の父親の弟が経営していた子会社がありましたが、不景気のあおりを受け倒産してしまいます。

負債処理は、全て高橋伸昌会長の父親に回ってきました。

自社の資産や私財を全て売却し、なんとか全ての負債を返済しましたが、その影響で江戸清も倒産の危機におちいります。

銀行から融資を断られて困っていた江戸清に救いの手を差し伸べたのは、伊藤ハム株式会社の創業者でした。

高橋伸昌会長の父親が、伊藤ハム関東会の会長をしていた縁で資本出資を受けることになりました。

そして、その代わりに江戸清の株式の75%を伊藤ハム株式会社に渡しました。

しかしこの支援を受けたおかげで、江戸清は無事に再建できました。

独立した関係であった伊藤ハム株式会社と江戸清でしたが、時は流れ、トップが変わっていくうちに、親会社と子会社の関係になってきて、単独では物事を決められなくなっていきました。

江戸清に戻って父親を助けてほしいと母親に頼まれて、高橋伸昌会長は1994年江戸清株式会社に入社します。

結局、伊藤ハム株式会社から全株式を戻してもらえたのは、高橋伸昌会長が入社してから20年ほど経ってからでした。

2000年に高橋伸昌会長は、代表取締役社長に就任します。

しかし、それ以降毎年のように食に関する事件が起きます。

口蹄疫やBSEなどの家畜の疫病、食中毒、食品の偽装そして、一番ダメージを受けたのが段ボール肉まん事件でした。

中華街の売上が一気に3割に減ったそうです。

この段ボール肉まんは、中国北京市で製造販売されていたと2007年7月頃全世界に報道されました。

この業者は、使われなくなった段ボールを苛性ソーダに浸した水で脱色した後、細かく粉砕し、挽肉に混ぜ、豚肉の香料を入れて本物と見分けがつかない状態にして、肉まんを製造していたというショッキングな事件でした。

危機の時は、原点に立ち返ること。代々江戸清に受け継がれている精神で、事件が起こるたびに事業内容の見直しなど工夫をして乗り越えてきました。

そして、2020年またしても危機が訪れます。新型コロナウイルスが世界中で猛威を振るいます。

インバウンド需要の消滅、度重なる緊急事態宣言の発令による観光客の激減、営業自粛。

先が見通せない状況にも、高橋伸昌会長は、先代からの教え通りにこの危機に適応する方法を探ります。

現状を分析し、新しい経営戦略を立案。不採算部門の縮小と新分野の強化に取り組みました。

コロナ禍で客足が伸びている食品スーパーなどの量販店との取引拡大、弁当チェーンとのコラボレーション企画を行うなど商品開発にも力を入れ、自社ブランドも定期的に新商品を売り出します。

また、宅配やネット販売サービスにも注力していきます。

状況に合わせた迅速な対応力こそが、江戸清が長く続く企業である秘訣なのでしょうね。

高橋伸昌会長は、このコロナ危機を横浜中華街一体となって乗り切るように、皆で協力し、元の賑わいを取り戻す道を探っています。

高橋伸昌/江戸清会長の年収は?

高橋伸昌会長の年収は、非公開でした。

<江戸清の年商>

売上高 67.5億円 (2021年6月期)

引用元:株式会社江戸清ホームページ

株式会社江戸清は、個人顧客に向けて、店頭での豚まんや点心などの中華総菜の販売・ネット販売の他、創業から続けている食肉加工と販売を事業者向けに行っています。

他にも、各種食料品の卸売り・輸入・輸出、調理食品や総菜類の製造販売、飲食事業、酒類の販売等を行っています。

特に、創業時から扱っている食肉に関しては、江戸清の一番の強みであり、『品質優先』『顧客志向』『食文化の創造』という企業理念のもと、磨き続けた技術と経験で絶対的な自信を持っている部門となっています。

高橋伸昌/江戸清会長の学歴は?

様々な困難に立ち向かい、伝統ある家業を守り続ける高橋伸昌会長は、どのような学生時代を送ったのでしょうか。

出身大学

慶應義塾大学経済学部を卒業されています。

レポートを提出する際にお肉も一緒に提出して、合格点をもらえましたと、冗談交じりに話していました。

お世話になった教授で、その後も定期的にお肉を送っているそうですよ。

義理堅い高橋伸昌会長の人柄がうかがえるエピソードですね。

大学時代に学んだ経済学の知識が、その後の野村証券株式会社や家業の株式会社江戸清の経営に生かされているんですね。

出身高校は?

神奈川県立横浜緑ヶ丘高等学校を卒業されています。

中学生の時に、父親から剣道を勧められて、警察署の道場に通うようになったそうです。

とても厳しい道場で、よくさぼっていたと話していました。

高等学校に入学後も、剣道部に入部しました。

しかし、他に面白そうなことがたくさんあり、剣道部を退部。

その後は、ゴルフやバレーなど様々なスポーツを楽しんでいたようです。

高橋伸昌会長は、文武両道なのですね。

神奈川県立横浜緑ヶ丘高等学校は、政治家、実業家、学者、アナウンサー、映画監督、スポーツ選手など幅広い分野で活躍している有名人を輩出している名門校です。

高橋伸昌江戸清会長の思想や座右の銘は?

  • 事業を通じて社会に奉仕する。

自分たちは地域に生かされている。だから、自分たちは社会に奉仕する。

  • 世のため人のため地域のために行動する。

地域の消防団員として活動していた、高橋伸昌会長の父親の口癖でした。

高橋伸昌会長も、常に心掛けているそうです。

高橋伸昌会長が心に刻んでいる言葉を紹介します。

  • 桃李不言 下自成蹊(とうりもの言いわざれど、したおのずからけいをなす)

史記(前漢の司馬遷がまとめた歴史書で二十四史の1つです。)の中にあり、高橋伸昌会長が心に刻んでいる言葉です。

意味は、優れた人格を備えた人の周りには、その人を慕って自然と人が集まってくるです。

  • 徳不孤 必有隣(徳 (とく)は 孤(こ)ならず必(かなら)ず隣(となり)あり)

論語里仁に乗っている言葉で、こちらも高橋伸昌会長が大切にされている言葉です。

意味は、徳のある者は孤立することがなく、理解し助力する人が必ず現れるです。

高橋伸昌会長の座右の銘は、
「報恩感謝(ほうおんかんしゃ)」です。

恩に報いて、謝る心を感じる。

この言葉の意味は、人は1人では生きていけないから、常に周りの人たちに感謝する気持ちを忘れてはいけないです。

高橋伸昌/江戸清会長の家族はどんな人?

自宅は、神奈川県横浜市中区にあるそうです。

結婚されていて、奥様がいらっしゃいます。

お子さんの情報は、非公開です。

まとめ

  • 江戸清の会長高橋伸昌会長の最終学歴は、慶応義塾大学経済学部卒業
  • 高橋伸昌会長の経歴は、野村證券株式会社で12年務め実績を積んでいっていましたが、母に頼まれ株式会社江戸清に入社する
  • 高橋伸昌会長は、家業を守るために様々な試みをしている
  • 高橋伸昌会長は、父親の教えを今でも大切にしている
  • 高橋伸昌会長は、感謝の心を常に忘れないように心掛けている