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重里欣孝/SRSホールディングス会長の経歴や学歴は?家族はどんな人?

RSホールディングス会長の重里欣孝氏。

「和食さと」を運営しているのが、SRSホールディングス株式会社です。

重里欣孝氏の考え方は、とても勉強になります。

ちゅうこ
ちゅうこ
ここで分かることはこれだよ!
  • SRSホールディングス会長の重里欣孝氏の経歴
  • 重里欣孝会長の学歴
  • 重里欣孝会長の座右の銘や思考
  • 重里欣孝会長の家族について
ちゅうこ
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学べることはたくさん学んじゃおう!!

重里欣孝/SRSホールディングス会長の経歴は?

先代社長が急逝し、35歳という若さで、会社の経営を任された重里欣孝取締役会長の経歴を見ていきましょう。

<重里欣孝氏の経歴>

1987年 3月 株式会社サト(現:SRSホールディングス株式会社) 入社
1987年 6月 同社 取締役企画室長 就任
1990年 4月 同社 常務取締役商品本部長 就任
1993年11月 同社 代表取締役社長 就任
1998年10月 サトレストランシステムズ株式会社 商号変更
2002年 6月 同社 代表取締役兼執行役員社長 就任
2014年 2月 同社 代表取締役執行役員社長 就任
2014年10月 同社  取締役会長 就任
2017年10月 SRSホールディングス株式会社 商号変更
2021年 7月 サトマルシェ 開店

父親に説得され、大学卒業後、株式会社サト(現:SRSホールディングス株式会社)に入社します。

入社後に任された仕事は、安くておいしい食材の仕入れ先を探し、自社が求める技術を持つ食材加工会社を見つけ、そしてそれらを輸入する最善のパートナーを探すため、アジア各地を飛び回ります。

同じ時期に、同社は本格的に和食レストランチェーン「サト」の展開を始めました。

重里欣孝取締役会長は、そのプロジェクトリーダーを任されます。

手始めに関東圏と中部圏へ出店すると、どの店舗も好調で手ごたえを感じた重里欣孝取締役会長は、出店を加速させます。

そして、1990年には店舗数は200店に到達しました。

1993年には、和食レストランチェーン「サト」の異業種形態として、低価格郊外和食業態「和食さと」を実験的に開業しました。

次々と進化を推し進めようと奮闘していた重里欣孝取締役会長に悲しい出来事が起こります。

創業者で父親の進氏が59歳という若さで急逝。

突然のことで、何も準備をしないまま2代目代表取締役社長に就任します。

その後、子会社の統廃合や社名変更なども行い、今後の方向性を探っていきます。

そこで重里欣孝取締役会長が決断したのは、洋食、居酒屋などの業態から撤退し、和食1本に絞り店舗展開をしていくという思い切ったものでした。

もちろん、社内のみならず関係子会社などからも反対をされます。しかし、重里欣孝取締役会長は信念を曲げませんでした。

同社は、「寿司と鍋がおいしい店」としてお客様から評価を受けています。これは他店にはない強みです。

だから、この強みを最大限に活かすべきですというのが、重里欣孝取締役会長の戦略でした。

そして、2002年には完全に和食に1本化されました。

その後も、しゃぶしゃぶサトや海外進出など店舗展開や配送環境など環境整備を続けます。

しかし、2012年頃、店舗数を増やすことをいったん止める決断をします。

それは、外部に向けて出資するのではなく、社員やお客様のための出資に切り替えるためです。

重里欣孝取締役会長は、社員が働きやすいようにキッチンシステムを一新させます。

重里欣孝取締役会長が改革を推し進める中、力強い味方が入社してきます。

それは、弟の重里政彦氏(現:SRSホールディングス株式会社代表取締役社長)です。

政彦氏も重里欣孝取締役会長と同じく、家業や父親から距離を置き、商社マンとして働いていました。

しかし、兄を支えるために戻ってきたのです。

入社間もない政彦氏に、稼ぎ頭の「和食さと」を任せます。

飲食業の経験はありませんでしたが、商社マンとして培った知識や経験を生かし業績を挙げていきます。

2017年、代表取締役社長の座を弟の政彦氏に譲り、取締役会長として、経営の第一線から退きます。

しかし、息つく暇はありませんでした。

2020年新型コロナウイルスの感染が広がり、生活は一変し、得体のしれない不安が世界中に広がります。

営業自粛や時短営業など飲食業界には厳しい逆風が吹きつけます。

どんな時でも、自分達を信じて行動するだけ。

重里欣孝取締役会長は、政彦氏と共に、新型コロナウイルスの感染拡大に伴い国の求めに従い、感染対策を強化しました。

従業員に対しては、会社の経営が厳しい中でも、解雇などは行わないだけでなく、賞与まで出し、従業員の士気を高め、一丸となってこの危機を乗り切ろうとしています。

こんな状況でも進化は止めません。

同社は、2021年東大阪に「サトマルシェ」という新業態の店舗も試験的にオープンさせました。

同店はコンビニと弁当・惣菜店を合わせたような店舗です。

コロナ禍での内食需要増加や、共働き世帯や高齢世帯に向けて、朝食から夕食まで全時間帯での“日常食”を扱っています。

重里欣孝/SRSホールディングス会長の年収は?

重里欣孝取締役会長の年収に関しての情報はありませんでした。

コロナで利益は減ったが、役員報酬を削って社員には賞与も支払っていると、話していました。

社員を大切にしている重里欣孝取締役会長らしいですね。

<SRSホールディングスの年商>

2021年3月期 売上高:437億700万円

(引用元:SRSホールディングスホームページ

テイクアウトやデリバリーといった新形態でのサービス提供に力を入れ売上高は、前年比で微減にとどまっています。

しかし、同社も新型コロナウイルス感染状況により影響を受けているようです。

2020年期には、新規出店も行っていましたが、2021年期は新規出店を控えているようです。

また、閉店件数も増加しており、国内外合わせると店舗数は、減少傾向にあります。

休業せざるを得ない事態になることも多く、店舗の維持費や人件費等の費用がかさみ、利益は大幅に減少しています。

重里欣孝/SRSホールディングス会長の学歴は?

パワフルで芯が強く、どんな困難にも立ち向かう重里欣孝取締役会長の学生時代を見てみましょう。

出身大学

日本大学法学部を卒業しています。

父親の進氏は仕事一筋でとても厳しい人だったそうです。

和食のチェーン店化は無理だと言われていた時代に、寿司屋から和食チェーン店「さと」へと拡大させた人です。

その父親から逃げるため関東の大学に進学しました。

明確な目的がなく進学したため、学校にもあまり行かなかったそうです。

しかも、大学在学中に巨額の借金を背負ってしまい、その返済のため、昼夜を問わずアルバイトに励んだ時期もあったそうです。

借金は無事完済でき、大学も卒業できました。

家業を継ぐ気はなかった重里欣孝取締役会長は、宝飾関係の会社に就職が決まっていました。

ある日、父親が重里欣孝取締役会長の部屋に来て、「一緒に働いてくれないか。」と力無げに言われたそうです。

強気で頑固な父親の姿しか見たことのなかった重里欣孝取締役会長は、驚いて、父親の会社に入社することに決めます。

出身高校は?

出身高等学校に関する情報は公開されていません。

重里欣孝SRSホールディングス会長の思想や座右の銘は?

  • 他社の真似事はだめ

流行に乗れば、最初のうちは真似でも売上は伸びます。

でも、それでは続きません。

地力が培われていなければ、壁にぶつかった時に次の一手が打てないのです。

企業は利益を追求するだけでは成り立ちません。

働いている人たちが、皆で幸せになれるような会社でなければ、存在する意味がない。

“いい会社”であり続けることを本気で追求していきたいです。

  • 心の健康が大切。

嫌なことは絶対にしない。

そうすると、ストレスは溜まらないし、幸せな毎日が過ごせます。

  • 週に2冊は、本を読む。

様々なジャンルの本を読むことで、知識の幅が広がるそうです。

重里欣孝/SRSホールディングス会長の家族はどんな人?

1958年3月22日生まれの63歳で、大阪府大阪市出身です。

重里欣孝取締役会長の父親は、SRSホールディングス株式会社の前身である株式会社尼崎すし半本店の創業者、重里進氏です。

10歳年が離れた弟が、SRSホールディングス株式会社3代目代表取締役社長の重里政彦氏です。

結婚はされていますが、子供さんについての情報はありません。

しかし、重里欣孝取締役会長は4人のお孫さんが癒しになると、メディアで話していたので子供さんもいるようですね。