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津田明子/株式会社ポケモンプロデューサーの経歴や学歴は?家族はどんな人?

30歳という若さで、大プロジェクトを任された 株式会社ポケモンプロデューサーの津田明子氏。

今までの経歴は、どのような企画に携わってきたのでしょうか。

また、ポケモンの仕事に行きついた理由は、津田明子氏の留学時代が関係しているようです。

では、チェックしていきましょう。

ちゅうこ
ちゅうこ
ここで分かることはこれだよ!
  • 株式会社ポケモンプロデューサー津田明子氏の経歴
  • 株式会社ポケモンプロデューサー津田明子氏の学歴
  • 株式会社ポケモンプロデューサー津田明子氏の家族
ちゅうこ
ちゅうこ
よみうりランドのポケモンワンダー行ってみたい!!

津田明子/株式会社ポケモンプロデューサーの経歴は?

<津田明子氏の経歴>

2015年 4月 株式会社ポケモン 入社
2018年 2月 地方自治体とのプロジェクトメンバーに加入
2021年 7月 ポケモンワンダー 開業
統括本部プレーヤーリレーション部マネジャー

大学卒業後、株式会社ポケモンに入社します。

入社後は、商品ライセンスやゲームの企画、オフィシャルショップの商品企画などを担当していました。

2018年2月からは、地方自治体とのプロジェクトメンバーとなり活躍の場を移します。

まず、津田明子氏が手掛けた企画は、同年スタートした「ポケモンローカルActs」です。

 

「ポケモンローカルActs」とは、各道県とポケモンがコラボし、ポケモンのイベント出演やスタンプラリーの実施。

そして、コラボグッズの販売、スマートフォンアプリ『ポケモン GO』との連動企画など、幅広い分野で地域の観光アピールと「推しポケモン」を宣伝する取り組みです。

2019年5月に「イシツブテ」が、“いわて応援ポケモン”に就任、10月には、宮城県が、ポケモン「ラプラス」との観光キャンペーン”ラプラス プラス 宮城巡り”を開始しました。

株式会社ポケモンと地域とのつながりは、株式会社ポケモンが様々な働きかけを行い、少しずつ根付いたものでした。

そのうちの一つにポケモンのWebサイト「ポケモンだいすきクラブ」での特集企画がありました。

Webサイト「ポケモンだいすきクラブ」を2014年末にリニューアルした時に、数百種いるポケモンの中から選び出した、1匹のポケモンの魅力を伝える特集をスタートしました。

転機となったのが「ヤドンパラダイス」というタイトルで、ヤドンだけの特集企画でした。

その後、香川県の方からコラボレーションの話が持ち上がりました。

香川県のPRに、使われている“うどん県”とヤドンの語呂が、近いことなどから応援したいとの申し出があったようです。

2015年に香川県の協力のもと、エイプリルフール企画を実施しました。

すると、このエイプリルフール企画は、大反響を呼び話題となりました。
この反響をみて、株式会社ポケモンは、地域とのコラボレーションの可能性を見出し企画を続けていきます。

そして、2016年に位置情報ゲームアプリ「ポケモン GO」が発売されたことも、地域とポケモンとの結びつきを強めました。

各地で特定のポケモンに出会いやすくなるイベントを開催すると、そのポケモンを目当てに現地に多くの人が訪れ、社会現象となったことも追い風となり、地域とポケモンのつながりは更に強くなっていきます。

2018年4月1日に香川県で、2015年に実施したエイプリルフール企画の第2弾を実施し、大成功を収めました。

以降、複数の都道府県とのコラボレーション活動が、スタートすることになりました。

こうして地域を巻き込んだ活動をしてきた株式会社ポケモンが、次に仕掛けたのは、津田明子氏がプロデュースした「ポケモンワンダー」です。

2021年7月、東京よみうりランドの奥深くにある20年近く手付かずだった森の中で、50匹以上のポケモンを制限時間内に探し出す ネイチャーアドベンチャーで、チケットは即日完売するほどの人気ぶりでした。

津田明子氏が、この企画で、最もこだわったところは、自然の中で、どうポケモンを表現するかという部分ですと語り、続けて、以下のように答えていました。

「ここは最初から最後まで試行錯誤の連続でした。
それぞれのポケモンが、持つ魅力を最大限表現できるような形にしたいのですが、ポケモンが目立ちすぎると“ポケモンを探す遊び”として成立しないんです。

一方で、自然に馴染ませすぎると、本当に見つけられなくなってしまいますから、そのバランスが難しかったですね。
その上で、ポケモンの表現として、絶対に譲れない部分や守らなければいけないことが、たくさんあるので、本当に議論が尽きなかったです。」

2次元のキャラクターだったポケモンを、地域や屋外で親しむ3次元のポケモンワールドに育て上げ、若い発想力で様々な企画を成功させる津田明子氏。

次は、どんなプロジェクトを準備しているのでしょうか。

津田明子/株式会社ポケモンプロデューサーの年収は?

津田明子氏の年収についての情報も公表されていないようです。

一部の転職サイトでは、年収が400万円から650万円くらいとなっていますが、津田明子氏は、そのもっと上の可能性が高いですよね。

<株式会社ポケモンプロデューサーの年商>

年商についての情報はありませんでした。

株式会社ポケモンの主な事業内容は、ビデオゲーム ・カードゲーム ・アプリ・ 映像のプロデュース・開発、ライセンス事業、店舗運営等となっています。

株式会社ポケモンは、「ポケモンという存在を通して、現実世界と仮想世界の両方を豊かにすること」という企業理念のもと、様々な取り組みをしているようです。

具体的には、ゲーム分野では欠かせないプログラミングスキルを楽しく学ぶきっかけをつくるため、プログラミングの基礎が、体験できる子ども向けワークショップを実施しているそうです。

ポケモンイラストラボという試みもあります。

これは、100種類以上のポケモンのイラスト素材を教育・保育に役立ててほしいと企画されたもので、公式のウェブサイトからポケモンのイラストや塗り絵、ポスターなどの素材をダウンロードできるようにしてあるそうです。

津田明子/株式会社ポケモンプロデューサーの学歴は?

幼少期からポケモンが、大好きだったという津田明子氏ですが、成長と共に学業などが忙しくなり、自然とポケモンから離れていったそうです。

そんな津田明子氏が、再びポケモンに魅了された裏には何があるのでしょうか。

津田明子氏の学歴を見ていきましょう。

出身大学

大阪大学経済学部を卒業しています。

大阪大学は、大阪府吹田市に本部を置く国立大学です。

設立は、江戸時代とも明治時代とも言われるほどの大変歴史のある大学です。

津田明子氏は、大学在学中にアメリカ留学をし、WEBマーケティングのインターンプログラムに参加しました。

 

そして、この留学で津田明子氏は、将来の夢を見つけたのです。

ホームステイ先の男の子が、大のポケモン好きでした。

それを見た津田明子氏は、国を超えて、世界中の人達に愛されているポケモンの魅力に感動し、将来の進む方向を見つけたのです。

帰国後は、バイトではなく、もっと深く業務に携わり、自分がどれだけ世の中の役に立つのか、挑戦してみたいとインターン先を探しました。

選んだのはIT系企業で、アプリの企画開発に注力します。

出身高校は?

高等学校の情報はありませんでした。

津田明子/株式会社ポケモンプロデューサーの思想や座右の銘は?

「人のために動いていると、やがて自分にも返ってくる。」

子供の頃から人のために動くことは、大事なこと、ということは知ってはいました。

けれども、仕事をしていると、心のどこかで、「自分の仕事が忙しいのに、人のために動く必要があるのだろうか。」「自分が損をしてしまうのではないか。」と思うことがあったそうです。

しかし、会社で働く先輩達を見ていると、その考えは間違っているんだと気づいたといいます。

みんなで力を合わせないと、できないことがたくさんある、知恵を出し合って、協力し合って1つの商品やサービスを作り上げることができないんだと感じたそうです。

津田明子/株式会社ポケモンプロデューサーの家族はどんな人?

津田明子氏は、1992年生まれの30歳、京都府出身です。

結婚しているという情報はありませんでした。

まだ年齢が若いことや仕事面で、大活躍されているのをみると、まだ結婚より仕事が優先となっているのかもしれませんね。

まとめ

  • 津田明子氏の最終学歴は、大阪大学経済学部卒業です。
  • 津田明子氏にポケモンの魅力を再認識させた人物は、アメリカで出会ったポケモンが大好きな男の子でした。
  • 津田明子氏は、大学在学中にアメリカと日本でインターンとして開発や企画などバイトでは出来ないような責任ある業務を経験しました。
  • 津田明子氏は、大学卒業後、株式会社ポケモンに入社し社会人としての経歴をスタートさせました。
  • 津田明子氏は、様々な企画を成功させてきました。