菅義偉さんは、現安倍政権の官房長官で自民党所属の国会議員です。
衆議院議員を8期務め、現在71歳です。
秋田から集団就職で上京後、段ボール会社で働き、法政大学の伝手で当時衆議院議員の秘書となり、11年の秘書を務めた後横浜市議となり、衆議院議員になりました。
党内でも無派閥の議員としては、官房長官も異例の抜擢であり、その仕事ぶりからも責任感の強さが表れています。
もし、菅義偉さんが総理大臣になれば無派閥の総理大臣となり、今後の政権運営が注目です。
9月14日(月)99代目総理大臣菅義偉が誕生しました。
菅義偉の経歴は?
菅義偉官房長官は、日本で見ない日はないほどテレビやマスコミで取り上げられ、誰もが知っている安倍政権のスポークスマンです。
菅義偉さんは1948年〈昭和23年〉12月6日生まれで現在71歳です。
衆議院議員8期目を務めています。
内閣官房長官(第79代・第80代・第81代)の他、沖縄基地負担軽減担当大臣、拉致問題担当大臣などを兼務しています。
1973年、大学を卒業し、建電設備株式会社(現・株式会社ケーネス)に入社しました。
若い頃から政治を志し、衆議院議員の故小此木彦三郎氏の秘書となり、11年に渡り秘書を続けた後は、横浜市会議員(2期)を経てから、総務副大臣(第3次小泉改革内閣)、総務大臣(第7代)、内閣府特命担当大臣(地方分権改革)、郵政民営化担当大臣(第3代)、自民党幹事長代行(第2代)などを歴任されました。
官房長官として新元号令和を発表したことから、「令和おじさん」の愛称があります。
菅義偉の学歴は?
雄勝町立秋ノ宮小学校(現、湯沢市立雄勝小学校)卒業後、雄勝町立秋ノ宮中学校(現、湯沢市立雄勝中学校)に進学しました。
中学卒業後は、自宅から最も近い秋田県立湯沢高等学校に2時間かけて通学し、第3学年では進学組に所属したようです。
父親から農業大学校への進学を勧められたようですが断り、高校卒業に夢を持ち集団就職で上京しました。
しかし、現実は甘くなく板橋区の段ボール工場で過ごし、自身の甘さと現実の厳しさを痛感したようです。
上京から2年後法政大学第二部法学部政治学科へ進学します。
この学校を選んだ理由は、私立大学では学費が一番安かったからと語っています。
菅義偉の生い立ちは?
秋田県雄勝郡秋ノ宮村(後の雄勝町、現、湯沢市秋ノ宮)で、農家の長男として生まれました。
家族は父、母、姉2人、弟1人の6人家族です。
父親は終戦を満州でむかえ、帰国後は郷里の秋ノ宮で農耕に従事。
「秋の宮いちご」のブランド化に成功して、秋の宮いちご生産出荷組合組合長や、雄勝町議会議員を務めました。
ひょっとしたら、菅さんはお父さんの姿を見て政治を志したのかもしれませんね。
菅義偉の若い頃は?
菅義偉さんは、若いころからスポーツ万能少年だったようです。
小学時代は陸上、相撲などの大会で活躍し、中学では軟式野球部で、俊足巧打の「1番三塁」をしていたそうです。
友人の話によると、放課後は空が暗くなるまで遊び、野球や相撲、こま回しで盛り上がったそうです。
今の菅義偉さんからすると、スポーツ万能とは思えないのが不思議です。
湯沢高校では帰宅部だったようです。
通学は自宅最寄りの横堀駅までバスを利用し、汽車に乗り湯沢駅まで計50分。
さらに学校まで徒歩30分と、順調でも片道1時間半ほど。
終バスを逃すと数時間歩き帰宅することになり、部活は泣く泣く断念していたそうです。
夢多き菅少年は父親からの実家の家業を継いでほしいとの思いでしたが、当の本人は
「家業を継ぐのは俺ではないよ。自分がやりたいことは他にあるはずで上京したい」
と家出に近い形で上京し就職したそうです。
菅義偉が政治家を目指した理由は?
ここのところ出馬表明をしてから菅さんがテレビ出演が多くなってきましたよね?
そこで、コメンテーターがこんな質問をしていたんです。
菅さんはなぜ政治家を目指したんですか?
この質問に対して、菅さんの回答はというと
大学卒業後サラリーマン生活をしていく中でこの世の中は政治が動かしているんじゃないか?
悔いのない一生を送りたい!
自分が日本をよくしたいという気持ちが強まってきました。
自分の出身である秋田の空がどんよりしていると感じたので、明るくしたいという気持ちが潜在意識の中にあったんだと思います。
菅義偉の派閥は?
過去の自民党総裁選を振り返ると、主要派閥の候補が勝ち上がる例がほとんどです。
派閥は会長、領袖を総裁にするのが本来の目的で、基盤となる議員数があれば派閥間の連携もしやすいためです。
今回は菅義偉官房長官が優勢な状況で「無派閥」の候補者が有力視されるのは異例で、初めてのこととなります。
初当選後菅義偉さんは小渕派(現竹下派)に所属し、その後すぐに離脱しました。
その後は加藤派宏池会(現岸田派)に移ったものの、2009年に古賀派を退会してからは無派閥を続け「派閥の時代は終わった」と繰り返しています。
派閥に対しては批判的な立場をとり、無派閥でいることは党内でも発言力が低いために、党内の役員人事でも、役職に就くことは難しいはずです。
しかし、菅さんはそのような中でも党内の様々な役職に就いたり、政権の中枢にまで上り詰めたということは、ひとえにその人柄故ではないでしょうか。
菅義偉の評判は?
菅義偉さんの評価には、党内外から様々な評価があります。
その手腕は、時には冷徹で自身の職に対して忠実に実行し、党の選挙対策総局長時には、「私の仕事は首を切ること」と言っていたことから、責任感の強さは党内随一といわれています。
問題とされた閣僚へ高まる批判に対して、落ち着いた様子での対応から「安定のガースー」、鉄壁の危機管理から「鉄壁のガースー」という俗称もあるほど、落ち着いた対応が有名です。
産経新聞社とFNNの合同世論調査によると、「第2次安倍晋三内閣で最も評価する閣僚」の1位となっており、安倍総理を抜いて最も評価の高い閣僚にも選ばれています。
しかし、菅義偉官房長官の様子がどうもおかしいとの声も聞かれます。
地味で堅実なキャラで感情を表に出さないタイプの政治家だったのに、一部では官房長官という要職に長く就くことで権力者としての意識が強くなり、傲慢になったのではないかという声まで聞かれるほどだそうです。
霞が関の官僚達からの評価は総じて低く、次のような声も聞かれます。
「どうして菅さんが官房長官にまで上り詰めることができたのか」
という疑問が湧くほどだ。
休みなく公務をこなし、官房長官の在任期間が最も長いだけに、計り知れない苦労もあるので、ある程度の変化というのも仕方ないのかもしれません。
そんな菅さんが最も得意とするところは、互いに意見の違う人たちを、決して表に出ることなく水面下で調整し、まとめ上げることだそうです。
選挙についても勝負勘は全くなく、苦しい思いを沢山したようです。
長い下積み時代の苦労と経験がそれを可能にする力となり、いつの間にか問題を解決してしまう、それが菅義偉さんの真骨頂なんだそうです。
そういった数々の実績の積み重ねで、今の官房長官という要職についているのではないかと思います。
菅義偉がポスト安倍の有力候補の理由は?
菅義偉さんがポスト安倍の最有力候補の理由は、安倍晋三首相や麻生太郎副総理、二階俊博幹事長ら主要派閥に影響力を持つ人物がそろって支持したため、優勢になっています。
現役の総理と幹事長が後ろ盾となれば、誰よりも強いサポーターがいることになります。
その為、主要派閥が菅義偉さんを支持することを早々と決め、最有力候補になっています。
まとめ
- 菅義偉は現在71歳で、元安倍政権の官房長官
- 安倍総理の辞任に伴い菅義偉が総理・総裁選に立候補し、9月8日第99代目内閣総理大臣に就任
- 菅義偉の最終学歴は法政大学卒業
- 菅義偉の経歴は、民間会社勤務後、政治の志しを実現するために国会議員の秘書を経て横浜市議から衆議院議員に当選
- 無派閥ながら、官房長官という要職に就任し、様々な形で安倍総理を陰で支えた
- 平成から令和への元号が変わる時に、元号名を発表したために「元号おじさん」などとも呼ばれる親しまれている
コロナ禍が収束しない中、新たな国民の代表として、どのような政権運営をしていくのか、今後に注目ですね。