仲野太賀さんは、もともと『太賀』という名前で、俳優と活動していましたが、いつの日からか『仲野太賀』に改名されました。
なぜ、『仲野太賀』に改名されたのか、理由を調べてみました。
また、俳優として活動し始めてのは、いつからだったのでしょうか。
仲野太賀さんの学歴やこれまでの芸歴を振り返ってみます。
仲野太賀の出身高校は?
- 仲野太賀さんの出身高校は日出高校の芸能コース。
- 同級生には染谷将太さんや剛力彩芽さんがいる。
仲野太賀さんの出身高校は、日出高校です。
(現在は目黒日本大学高校と改名しています)
日出高校といえば、堀越学園と並んで、多くの芸能人が入学することで知られています。
仲野太賀さんは、13歳のころから芸能活動をスタートさせています。
そんなことから、高校は芸能活動をしやすい学校である日出高校の芸能コースに進学されたものと思われます。
やはり芸能活動が忙しかったのか、高校では部活動には所属していなかったようです。
ただ、同級生に俳優の染谷将太さんがいて、彼と一緒に映画作りをしたりしています。
一緒にストーリーを考えたり、実際にカメラで撮影をしたりしていたそうです。
このときからすでに、俳優として生きていくということは心に決めていたのでしょうね。
ちなみに、染谷将太さんとは、中学時代からの知り合いだったそうで、同じオーディションを受けたことから意気投合したそうです。
そもそも仲野太賀さんが、日出高校に進学したいと思うようになったきっかけは、染谷将太さんと同じ高校に行きたいと思ったことのようです。
そんな二人が今は、ドラマや映画で活躍しているのですから、同じ世界で、がんばる幼馴染がいるというのは心強いことでしょうね。
二人が、何かの作品で共演することがあれば素敵ですね。
また、剛力彩芽さんとも高校の同級生です。
仲野太賀さんと剛力彩芽さんは、2007年に放送されたドラマ「レンタルの恋」で共演しています。
さらに、足立梨花さんとも同級生とのこと。
みなさんが同窓会を開いたら、相当豪華なパーティになりそうですね。
ちなみに高校は違いますが、同じ年齢の菅田将暉さんとは高校時代からの友人だとのこと。
その友人関係は今でも続いているといいます。
高校時代のことを振り返って、仲野太賀さんは、「楽しい記憶でいっばいだし、今でも思い出すだけで胸がいっぱいになるという時間だった」と語っています。
本当に充実した時間だったんですね。
高校卒業後は大学には進学せず、俳優の仕事一本で、がんばっていくことになります。
仲野太賀俳優はいつから始めた?
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- 仲野太賀さんは小学生のころ、ドラマ『WATER BOYS』を見て感動し、俳優を目指すことに。
- 俳優としてのデビューはドラマ『新宿の母物語』
仲野太賀さんが俳優という職業を意識し始めたのは、小学生のときに見たドラマ『WATER BOYS』だったそうです。
このドラマを見て、大感銘を受けたという仲野太賀さん。
このときから、主演である山田孝之さんに憧れ、自分も俳優として活躍したいと思うようになったといいます。
その後、2006年、仲野太賀さんが13歳のとき、ドラマ『新宿の母物語』で俳優デビューすることになります。
さらにその後、オーディションに合格して、映画『バッテリー』に出演します。
このとき、共演した林遣都さんが、山田孝之さんと所属事務所が同じであることを知った仲野太賀さん。
事務所の関係者と直に交渉し、自分も山田孝之さんと所属事務所に入れてもらうように頼みました。
それが実り、スターダストプロモーションに所属することとなりました。
現在も所属しています。
このとき、仲野太賀さんは、まだ14歳です。
その意志の強さと行動力には驚かされますね。
憧れだった山田孝之さんとは、後に映画・MONSTERZ モンスターズ(2014年)や50回目のファーストキス(2018年)で、共演を果たすこととなります。
高校時代から多くの映画やドラマに出演した仲野太賀さんでしたが、学園物の端役ばかりで、自分の演技が誰からも認識してもらえていないのではないかと悩んだ時期もあったようです。
「誰からも認識されていない自分は俳優と言えるのか」という鬱々とした気持ちを抱いていたと後に語っています。
また同時に、自分には何が足りないのか、どうすれば、自分の演技が認めてもらえるのかと考えていくことになります。
仲野太賀の経歴は?
そんな悶々とした日々を過ごしながらも、2007年には大河ドラマに初出演、翌年の映画『那須少年記』では、オーディションの末、見事初主演に抜擢されています。
2014年には、盟友の菅田将暉さんとともに、第6回TAMA映画賞の最優秀新人男優賞を受賞しています。
そして、なんといっても仲野太賀さんの名前を世に知らしめたのは、2016年のドラマ『ゆとりですがなにか』でした。
この作品で仲野太賀さんは、ゆとり世代の代表のようなキャラクター山岸ひろむを演じ、一躍有名になりました。
脚本を担当した宮藤官九郎さんは、仲野太賀さんが山岸を演じてくれたことで、このキャラクターが成立したと語っています。
さらに同じ年のTBSドラマ『仰げば尊し』では、パンチパーマにヒゲでアロハシャツを着ている高校生を熱演。
この役でも世間から注目されることとなりました。
この年は、仲野太賀さんにとって、芸歴10年目となる節目の年で、仲野太賀さんは、「これまでなかなか認められずに苦しかった。
役を通じて(自分の存在を)知ってもらえてありがたい。
ここからスタートだという気持ちもある」と語っています。
10年目にしてやっと、悶々としていた思いが晴れ始めたということだったようですね。
2017年にはドラマ『レンタルの恋』に出演。
自身初となる「クレジット順二番手」も達成しています。
2018年には映画『50回目のファーストキス』に出演。
このとき、監督・福田雄一さんが仲野太賀さんのアドリブを見て、脚本の方を書き換えるということがあり、福田雄一作品の常連である佐藤二朗さんやムロツヨシさんから絶賛を受けました。
2020年には、南海キャンディーズの山里亮太さん原作のドラマ『あのコの夢を見たんです。』で、山里亮太さんの役を演じ、民放ドラマでは初の主演も果たしています。
仲野太賀が改名した理由は?
2019年6月24日、それまで「太賀」という芸名だったものを、現在の「仲野太賀」と改名しています。
仲野太賀さんが、26歳のときのことでした。
本名である中野の中の字を仲として苗字にしました。
それまで、ずっと苗字がほしいと思っていたそうで、この年主演作2本を含む5本の映画に出演したことを転換期と考え、改名に踏み切ったそうです。
中を仲としたのは、仲間との出会いが俳優の財産であると実感したからだとのこと。
多くの映画に出演して、それぞれの現場で、人との出会いが宝であると痛感したということなのでしょうね。
13歳でデビューしたときに太賀を芸名にしようと決めてくれたのは、事務所の人と両親だっとそうで、この芸名にも愛着はあったようですが、転換期となったこの年に改名するというのは彼なりの決意の表れだったようです。
改名にあたって仲野太賀さんは、
「改名は俳優としての生きていく決意の表れ、これが日本映画だという作品を作りたい」と語っています。
父親である中野英雄さんは、改名の2か月前にそのことを聞いていたそうですが、リアクションはそれほどだったそうです。
改名することよりも、俳優としてやっていくという決意を新たにしたことのほうが、中野英雄さんにとっては、うれしいことだったのではないかと思います。
その決意のとおり、改名後もドラマや映画に次々に出演。
父親をしのぐような活躍を見せています。
シリアスな役から、コミカルな役までこなす仲野太賀さん。
今後の活躍が楽しみな役者さんです。
まとめ
- 仲野太賀さん出身高校は日出高校の芸能コースで、同級生には染谷将太や剛力彩芽がいる。
- 仲野太賀が俳優を目指すきっかけは、小学生のころ見たドラマ『WATER BOYS』に感動したこと。
俳優としてのデビューは2006年13歳のとき。ドラマ『新宿の母物語』の出演。 - 仲野太賀は2019年26歳のとき太賀から現在の芸名に改名している。
俳優には仲間との出会いが一番の財産ということからこの名前に改名した。