秋田県知事選挙が2021年3月18日告示、2021年4月4日投票の日程で行われます。
村岡敏英氏は、秋田県本荘市(現・由利本荘市)出身、年齢は60歳です。
村岡敏英氏は、大学卒業後の民間会社5年勤務し、その後、父親の村岡兼造衆議院議員の事務所に秘書として入所します。
2012年に衆議院議員に日本維新の会に所属し出馬するも小選挙区では敗退。
比例東北ブロックで復活し初当選しています。
秋田県知事選挙に出馬表明した理由から経歴や評判をチェックしていきましょう。
- 佐竹敬久(無所属・現)23万3,305票 当選
- 村岡敏英(無所属・新)19万3,538票
- 相場未来子(無所属・新)2万3,679票
- 山本久博(無所属・新)2万617票
村岡敏英の経歴は?
- 1983年:日本大学商学部を卒業、民間会社5年勤務
- 1989年:村岡兼造事務所に勤務
- 1990年:運輸大臣 政務秘書官
- 1977年:内閣官房長官 政務秘書官
- 2004年:村岡敏英事務所を開設
- 2005年:衆議院議員選挙落選(無所属)
- 2009年:衆議院議員選挙落選(無所属)
- 2010年:参議院議員選挙落選(たちあがれ日本)
- 2012年1月:エフエム秋田「WHAT’S THE NUMBER」でパーソナリティを務める
- 2012年12月:衆議院議員に初当選(日本維新の会)
- 2014年12月:衆議院議員選挙 2期目当選(維新の党)
- 2017年:衆議院議員選挙落選(希望の党)
村岡敏英氏は1960年(昭和35年)7月25日生まれの60歳で、秋田県本荘市(現・由利本荘市)の出身です。
大学卒業後は飛鳥建設入社、民間会社に5年間勤務したのち、父の村岡兼造衆議院議員の事務所に秘書として入所しています。
父村岡兼造の運輸大臣就任に伴い、私設秘書から運輸大臣政務秘書となっています。
1997年には内閣官房長官政務秘書に就任し、日韓魚業協定の改定交渉等では外務省と農林水産省との調整役を務めています。
2004年には事務所を開設し、衆議院議員選挙に無所属で出馬していますが2回連続で落選しています。
参議院議員選挙にもたちあがれ日本に所属し出馬していますが、落選しています。
2012年に衆議院議員に日本維新の会に所属して出馬しており、小選挙区では敗れましたが、比例東北ブロックで復活し初当選しています。
2014年の衆議院議員選挙でも、比例復活し2期目を務めることになっています。
衆議院では農林水産委員会、国土交通委員会、TPP特別委員会などに所属しています。
TPPに関しては、輸入米の売買価格同時入札の不透明な取引の追求や、農業従事者への直接所得補償を訴えています。
2016年からは民進党に入っていますが、その後2017年には希望の党からも衆議院議員選挙に出馬しており落選しています。
村岡敏英の学歴は?
- 本荘南中学校
- 日本大学鶴ヶ丘高等学校
- 日本大学商学部
中学校時代には軟式野球部に所属しており、東北大会で優勝するほどのチームでした。
チームメイトの同期には、元日ハム投手の工藤幹夫さんがいたそうです。
日本大学鶴ヶ丘高校は東京都杉並区にある学校で、日本大学付属の私立校です。
村岡兼造氏の衆議院議員当選に伴い、一家で東京に引っ越されたのでしょうか。
また日本大学は、偏差値が52.5と関東の私立では、中堅にあたる難易度の大学です。
付属高校からの進学ですので、エスカレーター式に入学されていると思います。
村岡敏英の政策や公約は?
村岡敏英氏は「令和版・大いなる秋田構想」を打ち出しています。
主な内容は10個です。
- コロナ対策
- 農林水産
- 経済
- 再生可能エネルギー
- 女性活躍、子育て
- 医療、介護・福祉
- 多様性
- 防災インフラ
- 人材育成
- 行政改革デジタル化
1.コロナ対策
- スピード重視の対応を市町村と連携し、「ワンチームあきた」でコロナ対策を一体的に行う。
2.農林水産
- 農林水産業の所得向上を目指す。生産資材及び流通・加工の改革。スマート農業を確立。
- 知事は、秋田ブランド販路拡大のために首都圏、海外輸出のトップセールスに全力
3. 経済
- 県内企業の経営体力を強化するために、中小零細企業向けの支援制度を整え、賃金の大幅アップを促す。
- 特区制度等を活用した大胆な規制緩和や先端技術による新産業の創出と産業競争力の強化
4.再生可能エネルギー
- 大型洋上風力を再生可能エネルギーの日本最大拠点に
5.女性活躍、子育て
- 官民連携による、女性が活躍できる職場環境の実現「働く女性支援課(仮称)」の設置
- 国による不妊治療の保険適用までの間、県による不妊治療等への助成を拡充、「授かりたい人を応援する」環境づくりを推進
6.医療、介護・福祉
- 検診の質向上と受診率を飛躍的に向上させ、最新がん治療が受けられる「がん診療連携拠点病院」の支援を強化し、秋田県のがん死亡率23年ワースト1位を返上する施策を展開
- 高齢者医療ニーズに応える、新たな病院機能「総合医療支援センター」の整備
7.多様性
- 障がいのある人と障がいのない人が共に学ぶ「インクルージョン教育」を確立
8.防災インフラ
- 「災害や緊急事態に即応できる防災人材育成拠点「災害救助総合防災訓練センター(仮称)」と「超大型備蓄倉庫」を国と連携で整備
9.人材育成
- 「国際教養大学」をアジアの教育拠点とする「ボーディングスクール」事業を推進
10. 行政改革デジタル化
- 知事自身が県内25市町村に直接出向き、県民とひざを突き合わせて意見交換し、政策に反映させた。知事と25市町村による「ワンチームあきた」連携推進本部の設置
- 企業誘致・農産物売り込み・移住の最前線に立つ「秋田東京事務所」の組織・機能の強化
- 女性副知事の登用、県庁はじめ行政機関で女性登用を積極的に推進
- 産官学の連携によるデータの利活用と日本一のデータサイエンティスト教育の実現
また、政治姿勢として、短中期の緊急課題は5年で、長期の未来を創る課題は10年と期限を決め、スピード感を持ち、結果を出すべきとし、知事の任期は3期12年までとし、県財政がひっ迫する中、身を切る改革として知事退職金(1期・約3,400万円)は辞退すべきとしています。
村岡敏英の評判は?
2021年秋田県知事の選挙運動の中で市民の方が、雪が降り積もっている中、手を振る村田敏英氏の動画をTikTokに投稿し、12万以上のいいねがついています。
選挙活動を一生懸命頑張る姿を見て、心を打たれた方がいたのでしょうね。
これがさらに拡散されれば、若い人も関心を寄せるのではないでしょうか。
村岡敏英が秋田県知事選挙に出馬した理由は?
村岡敏英氏は、秋田県知事選への出馬に関して「衰退する秋田を活力ある県に戻し、若い世代につなげたい」と話しています。
また、「今こそ人口減少や少子化に歯止めをかけなければならない。
秋田を再起動するために知事選への挑戦を決意した」そうです。
村岡敏英が秋田県知事に当選する確率は?
秋田魁新報社が行った電話世論調査によると、4選を目指す現職の佐竹敬久氏が優勢で、新人の村岡敏英氏が追う展開になっているようです。
県美容生活衛生同業組合前理事長の新人山本久博氏と、新日本婦人の会県本部前事務局長の新人相場未来子氏は伸び悩んでいるそうです。
しかし、2割強は投票先を決めていないとのことなので、情勢はまだ変わる可能性があるそうです。
4候補はいずれも無所属ですが、佐竹敬久氏は自民党県連の支持を受けています。
ところが、その一部は首相に近い村岡敏英氏支援にまわっているそうで、思わぬ「保守分裂」となっている構図です。
相場未来子氏は、共産党県連委員を務めており、共産党の推薦を受けています。
管首相の地元でもありながら、自民党内で分裂していることは異常事態であり、首相の政権運営への影響を心配する声もあります。
村岡敏英の兄や父も政治家?
父の村岡兼造は、秋田県議会議員を経て、衆議院議員に立候補し当選しています。
宇野内閣で郵政大臣に初入閣し、海部内閣では運輸大臣を務めています。
大臣を歴任し、内閣官房長官を務めるなど政府の中枢で活躍した人物です。
また、総裁選の際には、橋本派の会長代理であり、橋本派が擁立した藤井孝男の兄貴分でありながら、初当選の同期だった小泉純一郎氏の支持に上回りました。
この行為に対して野中広務に「毒まんじゅうをくらったんじゃないか」と揶揄され、この言葉はこの年の流行語大賞を受賞しています。
兄の村岡兼幸氏は、元JC会頭で2001年の秋田県知事選挙に立候補しています。
村岡兼幸氏は、その後村岡建設工業の社長に就任しています。
まとめ
- 村岡敏英氏は1960年7月25日生まれで現在の年齢は60歳
- 村岡敏英氏の経歴は父親の村岡兼造氏のもとで16年にわたり秘書を務めていた
- 村岡敏英氏は2005年から選挙に出馬し3度落選
- 村岡敏英氏は2012年に衆議院議員に初当選し2期務めている