7つの肩書を持つ落合陽一さん。
天才と言われている落合陽一さんを育てた父親母親はどんな方なのでしょうか。
生い立ちがとても気になりますし、やりたいことをやらせてくれた両親と話していることから父親母親の職業も気になるところです。
落合陽一さんの家族を調べてみました。
落合陽一の父親母親の職業は?
- 落合陽一さんの父親の職業は国際ジャーナリスト
- 落合陽一さんの父親は落合信彦さん
- 落合陽一さんの母親の元職業は外資系航空会社のキャビンアテンダント
大学教員、研究者、メディアアーティスト、実業家、著述家とマルチな才能で多方面で活躍している落合陽一さん。
「現代の魔術師」とも呼ばれる落合陽一さんの異能さはどのようにして育てられたのでしょうか。
まずは、落合陽一さんのご両親に関して調べてみました。
落合陽一さんの父親は国際ジャーナリストの落合信彦さんです。
国際情勢や各国の裏事情をレポートした作品で知られていて、それらを題材にした小説なども執筆されています。
また、最近は若者向けの人生指南書のようなものも発表されていて、かなり長きにわたって国際ジャーナリストとして活躍されています。
少し年配の方であれば、アサヒビールのスーパードライのCMのあの人といえばピンとくるかもしれません。
落合信彦さんは1942年の生まれで、現在79歳。
高齢となった今でもインターネット上で「勝ち組クラブ」の主宰をされていたり、小学館の雑誌『SAPIO』で記事を連載されていたりと精力的に活動されています。
「バブル期にはCMに出演して、ただ立っているだけで1億円の出演料がもらえた」「ホテルで現金8000万円を盗まれたことがある」
「CIAに200人の知り合いがいる」などなど、落合信彦さんの武勇伝を挙げるときりがないほど豪快な人物です。
落合信彦さんは仕事が忙しく、落合陽一さんが生まれてもほとんど家に帰ってくることはなかったといいます。
執筆のためにホテルに缶詰状態だったそうで、週に一回だけお母さんと一緒にホテルに会いに行ったそうです。
バブル絶頂の頃に活躍されていたという時代背景もあったと思いますが、落合陽一さんのお父さんは、こんな豪快な人物だったのですね。
では、お母さんのほうはどうな人物なのでしょうか。
落合陽一さんのお母さんは、もとは外資系の航空会社のキャビンアテンダントをされていたそうです。
CAを引退した後は放送関係の会社を経営したり、音楽のプロデュースをされていたということで、お母さんのほうもお父さんである落合信彦さんに負けず劣らずのキャリアウーマンであったようです。
こんな仕事人間のご両親ですので、落合陽一さんはいっしょに暮らしていたおじいさん、おばあさんに育てられたとのこと。
国際ジャーナリストの父とキャリアウーマンの母の間に生まれた落合陽一さんは後に現代の魔術師と呼ばれるほどの科学者・研究者になったというのですから、少し不思議な感じがしますね。
落合陽一に兄弟はいる?
落合陽一さんには兄弟姉妹はおらず、一人っ子です。
両親は仕事で忙しく、兄弟や姉妹もいなかったということで、さぞさみしい幼少時代だったのだろうと想像してしまいますが、実際はそうではなかったそうです。
では、落合陽一さんはどんな子供時代を過ごしてきたのでしょうか。
次の項目で見ていくことにしましょう。
落合陽一の生い立ちは?
落合陽一さんは、1987年9月16日生まれで現在33歳です。
東京都港区六本木で生まれ育ったという都会派です。
小さい頃は、午前中は幼稚園に通って、午後は習い事という毎日を送っていました。
その習い事のスケジュールはつぎのとおり。
月曜日:ピアノ
火曜日:東大院生による算数の授業
水曜日:空手などのスポーツ系の習い事
金曜日:絵画
たしかにこれではさみしいなんて言っている暇もないほどの忙しさですね。
さらに、これらがすべて一対一の個別レッスンだったといいますから、さすがお金持ちの家の子といったところです。
小学校や中学校もさぞ有名な学校に通っていたのだろうと思いきや、そうではなかったようです。
小学校は港区区立の麻布小学校、中学も区立の六本木中学校に通っていました。
両親は有名小学校に通うことをすすめたそうですが、本人の意思でふつうの学校に通うことにしたそうです。
そのあたりのバランス感覚も小さいころから良かったようですね。
高校は、東大合格者数ナンバー1の有名進学校・開成高校に進学しています。
落合陽一はどんな風に育てられた?
落合家ほどのお金持ちであれば、落合陽一さんに対するお小遣いも桁外れなものだったのではと想像しますが、こちらもちょっと想像とは違っていたようです。
落合家では、何かが欲しいと思ったら、両親やおじいさん・おばあさんに対してプレゼンをすることになっていたそうです。
「なぜ自分がそのものを欲しいと思うのか」「それを手に入れるとどんないいことがあるのか」ということをプレゼンするというのです。
一風変わった英才教育といえますね。
でも、小さいころから論理的な思考を身に着けさせるにはいいやり方かもしれませんね。
このとき、両親やおじいさん・おばあさんのことを「ファンド」と呼んでプレゼンしたといいますから、こだわっていますね。
また、このプレゼンによってもらえるのは必ず現物だったといいます。
もらえるものはお金ではなかったのですね。
両親が忙しくて一人っ子と聞くとさみしい思いをしてきたのではと思いましたが、こんなふうに両親や家族からの愛情をしっかりもらって育ってきたということがわかりました。
落合陽一の幼少期はどんな子?
落合陽一さんの持論は「勉強はあくまで趣味。全員がやる必要はない」というものです。
大学の先生としては、そんなこと言っていいの?と思ってしまうような考えですが、いやいや勉強しても身にはならないし、やっても意味がないということなのかもしれません。
落合陽一さんは両親から「勉強しなさい」と言われたことは一切無いそうです。
たくさんの習い事も基本的には自分の意志でやりたいと思ったことをやっていたのだといいます。
ご両親のそういう教育のスタンスが、落合陽一さんという人物を形成したようです。
さきほど、「有名小学校に入らず、一般の小学校に自分の意志で通っていた」とご紹介しましたが、実は小学校の入試のときに、逃げ出してきてしまったのだといいます。
また、勉強で苦労したということもなかったようです。
開成高校に入学したのちも、勉強は得意だったといいます。
ただ、東大入試では、それまで直感で解けていた数学が解けなくなったので、東大はあきらめたと語っています。
それまで数学が直感で解けていたというほうが驚きですね。
東大への進学をあきらめたときは、勉強をさぼってしまったと少し反省したとのことですが、筑波大でしっかりと勉強して、その後東大の大学院へ進んでいますので、やはり優秀さは尋常ではありませんね。
そんなこともあり、自分の子どもたちに対しては、子どもが何かをしようとしているときはそれを親がやめさせないということをモットーに教育をしているそうです。
少々もどかしい思いをしても、じっとがまんして子どもがしたいようにやらせるのだそうです。
また、落合陽一さんの子育ての信念は「子どもの集中力は親がじゃましなければ育つ」というもの。
子どもの思うことをやらせてじっと見守るというのは、言うのは簡単ですがなかなかできないものです。
親はどうしても口を出して失敗しないように先回りをしてしまいます。
子どもの主体性を育てるためにも「見守る」というのはとても大切なことのようです。
まとめ
- 落合陽一の父親の職業は国際ジャーナリスト、落合信彦
- 落合陽一の母親の職業は、元外資系の航空会社のキャビンアテンダント
- 落合陽一は忙しかった両親にかわって祖父母に育てられた
- 落合陽一に兄弟姉妹はおらず、一人っ子
- 落合陽一は小さいころ毎日のようにピアノや空手などの習い事をマンツーマンで習っていた。
- 落合陽一は自分が欲しいものややりたいことがあったときは、そのことを両親や祖父母にプレゼンするという家庭で育った。
- 落合陽一の両親は有名小学校に入学させようとしたが、自分の意志で一般の公立小学校、中学校に進学した。
- 落合陽一は有名進学高校の開成高校に進学。
ただし、勉強は趣味だから、全員ができる必要はないというのが持論。