ミュージカル界の貴公子といわれる古川雄大さん。
最近はテレビドラマでも古川雄大さんを見る機会が増えました。
イケメン中のイケメンともいわれ、女性ファンの多い古川雄大さんですが、学生時代はどんな感じだったのか気になります。
出身高校からディズニーダンサー、そこから転身された理由まで調べてみました。
古川雄大の出身高校は?
古川雄大さんの出身地は長野県です。そして、出身高校は、地元の商業高校である須坂商業高校です。
現在は名前が変わって、須坂創成高校となっています。
(2015年に同じく県立高校の須坂園芸高校と合併しました)
県立の学校で共学です。共学ということですから、学生時代は相当モテたことでしょうね。
学生時代の古川雄大さんは部活動には所属していなかったといいます。
古川雄大さんが高校生時代に夢中になっていたのは、ダンスでした。
このころからプロのダンサーになることを夢見ていて、県内にあるダンススクールに通って、その腕を磨いていました。
ここでは、ジャズダンスを習っていました。
さらに、本格的にプロになるために、「セガワバレエアカデミー」という学校にも入って、こちらではクラシックバレエを習っています。
ジャズダンスにクラシックバレエと、高校時代はまさにダンスづくめの毎日だったようです。
ちなみに、クラシックバレエを習うことははじめは乗り気ではなかったようです。
ただ、今振り返ってみると、そのとき教えてもらったことがとても参考になっているということで、当時の先生にも感謝をしているとのことです。
また、高校の授業で自分の好きな楽器を選んで演奏をしていいというのをきっかけにギターも始めています。
ギターを選んだ動機は、「単純に一番かっこよかった」ということだそうです。
この音楽の授業をきっかけにギターを始め、曲作りも行うようになったそうです。
ダンスにギターと、この後の古川雄大さんの人生の基礎をつくるためのような毎日を送った高校生活でしたが、卒業後の進路にはかなり迷ったそうです。
バレエアカデミーの先輩やダンススクールの先生に相談をして、高校卒業後は進学せず東京に出て俳優になることを決断します。
ご両親には反対をされたようですが、自分の意志を貫くことになります。
このときは反対したご両親ですが、今は古川雄大さんの活動を心から応援してくれているそうです。
古川雄大はディズニーダンサーから転身した理由は?
上京後、古川雄大さんは東京ディズニーシーでダンサーとして活躍することになります。
ダンサーを目指す人であれば、一度は目指すというディズニーダンサー。
ディズニーダンサーには、パレードダンサーとショーダンサーの二種類があり、古川雄大さんが応募したのはショーダンサーの方でした。
このショーダンサーは、基本的にはジャズダンスとクラシックバレエの両方ができるというのが応募条件となっています。
高校時代、嫌がらずにクラシックバレエを続けてきた甲斐がここで現れましたね。
ディズニーダンサーは、書類審査→ダンスの実力が試される一次審査→振り付けの能力などの表現力が試される二次審査→最終面接とかなり長い審査を経て、ようやく採用となります。
また、ディズニーダンサーとして実際に働くには、ディズニーランドの近くに住まなければならないという条件もあり、家賃が高い東京の近くに住むというのは駆け出しのダンサーにとってはなかなかハードルが高い条件になっています。
それでも古川雄大さんは見事オーディションに合格、東京に出てきてすぐ、わずか19歳でディズニーダンサーとして採用されることとなったのです。
古川雄大さんが担当していたのは、ディズニーシーのショー・オーバー・ザ・ウェイブでのバックダンサーでした。
ただ、ディズニーシーの舞台に立っていたのは1年間だけのことでした。
では、どうして古川雄大さんはディズニーダンサーから俳優の道へ進むことにしたのでしょうか。
実は高校三年生のころ、ダンサーとしてのオーディションを受けるため東京に来ていたとき、原宿でスカウトされ、すでに芸能事務所に所属していたのでした。
もともと俳優として活動したかったということもあり、2007年にテレビドラマ『風魔の小次郎』で俳優デビューも果たし、同じ年の12月にはミュージカル『テニスの王子様』にも出演しています。
このことから、ダンサーとしてではなく、俳優として本格的にやっていこうという気持ちになったようです。
ディズニーダンサーも狭き門でしたが、それをすぱっと辞めて俳優の道へ進むという男らしさ、かっこいいですよね。
古川雄大が俳優として有名になった作品は?
古川雄大さんは舞台での俳優活動でまず注目を浴びました。
2012年に帝国劇場の舞台に、オーディションで獲得した『エリザベート』のルドルフ役で出演。
これをきっかけにして、本格的にミュージカルの道に進むこととなりました。
その後、2013年には『ロミオ&ジュリエット』、2015年には『黒執事』、2018年には『モーツァルト!』と次々に話題作で主役をつとめました。
このころから、ミュージカル界の次世代エース、ミュージカル界の新プリンスなどと言われるようになりました。
2018年には今後の活躍が期待される新進気鋭の若手に贈られる賞である岩谷時子奨励賞を受賞。
さらに、さまざまな舞台作品での演技が評価され、第44回菊田一夫演劇賞を受賞しています。
お茶の間のドラマで注目されたのは、2018年のTBSのドラマ『下町ロケット』でした。
このときは追加キャストとして第6話からレギュラー出演することとなりました。
さらに、2020年には日テレのドラマ『トップナイフ-天才外科医の条件-』、NHKの朝ドラ『エール』、映画『コンフィデンスマンJP プリンセス編』などに出演し、ミュージカルファンのみならず、一般の方のファンも獲得していくこととなりました。
2021年7月のテレビ東京のドラマ『女の戦争~バチュラー殺人事件~』では、テレビドラマ初主演を果たすことになります。
古川雄大の経歴は?
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古川雄大さんの生年月日は1987年7月9日。現在33歳です。
出身地は、長野県上高井郡高山村で、中学は地元の公立校である高山中学校に通っていました。
中学時代は野球部に所属していてキャプテンまでつとめていたといいます。
実は、その野球部の監督は古川雄大さんのお父さんがつとめていました。
古川雄大さんはその後、ダンスをはじめることになり野球部はやめてしまいます。
お父さんとしては少し残念な結果となってしまいました。
また、中学時代は陸上部にも所属していて100メートル走とリレーの選手だったそうです。
野球に陸上にダンスとまさに絵に描いたようなスポーツマンだったんですね。
ダンスをはじめたきっかけは、中学二年生のときにテレビ番組で見たバックダンサーがとてもかっこよかったからだそうです。
ダンスを始めたきっかけに関して、古川雄大さんは、
「歌番組でバックダンサーの方が踊っているのを見て、俺もあんなふうに踊れるかなと思ったのがダンスを始めたきっかけ」
と語っています。
最初はヒップホップをしたかったそうですが、ようやく見つけたダンススクールがヒップホップの指導をやっておらず、いやいやながらジャズダンスを習い始めたのだそうです。
中学から高校にかけて将来はダンサーになりたいと思っていたそうですが、高校三年生のころ俳優にもなりたいと思うようになったとのこと。
結局、ダンサーになるために上京し、後に俳優に転身することとなりました。
まとめ
- 古川雄大の出身高校は、地元の商業高校である須坂商業高校
- 中学時代は野球や陸上もしていましたが、高校に入るとダンスに夢中に。
- 古川雄大は高校卒業後、上京して東京ディズニーシーのダンサーに。