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平井竜一の経歴や評判は?西東京市長選に出馬した理由は?

東京都西東京市長選挙が2021年1月31日告示、2021年2月7日投票の日程で行われます。

平井竜一氏は、神奈川県横浜市戸塚区生まれで、現在の年齢は54歳です。

1998年、逗子市議会議員選挙に立候補し初当選、以降3期連続当選し逗子市議会副議長、2006年、逗子市長選挙に立候補して初当選、以後3期12年市長を務められた大ベテランです。

2021年2月東京都西東京市長選挙選挙へ初出馬表明しています。

平井竜一氏の経歴や学歴、家族について調べてみました。

2021年2月8日追記

西東京市長選挙得票数
  • 池沢たかし(無所属)3万4299票 当選
  • 平井竜一(無所属)3万2785票
  • 保谷美智夫(無所属)3256票
ちゅうこ
ちゅうこ
急に西東京市長選挙選挙に出馬表明したことが気になります!

平井竜一の経歴は?

【平井竜一の経歴】
  • 平井竜一氏は1966年4月8日、神奈川県横浜市戸塚区生まれの現在54歳
  • 大学卒業後、一般企業に勤務
  • 1998年、逗子市議会議員選挙に立候補し初当選、以降3期連続当選し逗子市議会副議長も務める
  • 2006年、逗子市長選挙に立候補して初当選、以後3期12年市長を務める
  • 2018年に行われた逗子市長選挙に4選を目指して立候補するも落選し市長を退任
  • 一般社団法人勤務を経て、2021年2月執行予定の西東京市長選挙への立候補を表明

平井竜一氏は、1966年4月8日、神奈川県横浜市戸塚区に生まれ、8歳の時に逗子市へ移り住みました。

高等学校在学中に、池子米軍住宅問題が争点となった逗子市長選挙が行なわれ、この選挙をきっかけに政治に関心を持ちました。

大学在学中には逗子市環境管理計画策定市民委員を務めました。平井竜一氏は大学卒業後の1989年、株式会社アスクプランニングセンターに入社しました。

同社は商業施設などの企画開発を手掛けまちづくりに関われる会社で、平井竜一氏は社長秘書としてベンチャー企業のトップマネージメントを学びました。

また大阪本社勤務の1995年、兵庫県西宮市で阪神淡路大震災に被災しています。

1996年に結婚し、1997年政治家を目指すために株式会社アスクプランニングセンターを退職し、逗子市に帰郷しました。

平井竜一氏は1998年3月、31歳で逗子市議会議員選挙に地盤も政治経験も資金もない中、無所属で挑みトップ当選を果たしました。

同じく初当選した近藤大輔氏と新会派「次世代フォーラム」を結成して議会改革に取り組みました。

2002年3月に行われた逗子市議会議員選挙に再選を目指して立候補、1,243票を獲得し3位で再選を果たしています。

2006年3月に行われた逗子市議会議員選挙に3選を目指して立候補、1,416票を獲得し5位で3選を果たしています。

同年4月、逗子市議会副議長に就任しましたが、同年9月に逗子市議を辞職し、同年12月に行われた逗子市長選挙に出馬しました。

平井竜一氏は14,065票を獲得、前逗子市議の網倉大介氏を破り初当選を果たしました。当時神奈川県内最年少、40歳での市長就任でした。

2010年12月に行われた逗子市長選挙では、池子米軍住宅地横浜市域における米軍家族向け住宅の追加建設の是非が争点化しましたが、平井竜一氏は池子米軍住宅地区内40ヘクタールの共同使用及び早期の返還を掲げ、元逗子市福祉部長の一柳康男氏、元逗子市議会副議長の松本治子氏を大差で破り、再選を果たしました。

2014年12月の逗子市長選挙では無投票で3選を果たしています。

平井竜一氏は、2018年12月16日に実施された逗子市長選挙へ4選を目指して立候補しましたが、実業家の桐ケ谷覚氏に敗れ落選しました。

市長退任後の2019年9月には一般社団法人公共経営研究センターで事務局長を務め、2020年6月に一般社団法人災害時電源等派遣互助協会事務局長に就任、2020年11月に合資会社まちづくりコーディネートセンター代表を務めました。

平井竜一氏は2020年11月、2021年2月7日に投開票が行われる西東京市長選挙への立候補を表明しました。

平井竜一氏の趣味はジョギング、好きな人物は坂本竜馬、好きな食物はカレーパン、好きな音楽はビートルズ、好きな言葉には困難に直面した時、自らを奮い立たせる言葉として「くじけず、あせらず、あきらめず」を挙げています。

平井竜一氏は若い頃から政治に強い関心を持ち関わって来た方なんですね。市議会議員・市長と20年に渡る経験を持っている優秀な方という印象を受けます。




平井竜一の学歴は?

【平井竜一の学歴】
  • 1979年 逗子市立逗子小学校卒業
  • 1982年 逗子市立久木中学校卒業
  • 1985年 神奈川県立横須賀高等学校卒業
  • 1989年 早稲田大学社会科学部卒業

平井竜一氏は、地元の小・中学校を卒業後、神奈川県立横須賀高等学校を経て、早稲田大学社会科学部を卒業しています。

小学生の時の将来の夢は科学者か海外特派員だったそうです。

中学校では陸上競技部に所属しで、800m・1500m・駅伝など中長距離選手として活躍しました。

その傍ら体育祭や合唱発表会などの学校行事にも情熱を燃やし生徒会活動でも活躍しました。

神奈川県立横須賀高等学校でも陸上競技部に所属し、400m・800m・駅伝の選手として活躍しました。

早稲田大学では探検部に所属し、登山やロッククライミング、川下り、洞窟探検などアウトドアな生活を体験し、夏休みにはインド・ネパール・中国などを単身で無銭旅行を経験しています。

平井竜一氏はスポーツマンであり、相当にアグレッシブな方との印象を受けますね。

平井竜一氏の母校、神奈川県立横須賀高等学校は1908年に県下4番目の県立中学校である神奈川県立第四中学校として開校し、その後1913年に神奈川県立横須賀中学校、1948年には学制改革により現在の校名となりました。

現在の偏差値は「67」と言いますから、レベルが高い進学校と言えますね。

平井竜一の政策や公約は?

平井竜一氏は以下の6つの政策を掲げています。

【平井竜一の政策・公約】
  • もっと魅力あるまちへ
  • 福祉を実感できるまち
  • 子育てが楽しくなるまち 子どもが生き生き育つまち
  • もっと市民が活躍できるまち
  • 今こそ防災の基盤づくりを
  • 未来に続く持続可能なまち

具体的には、

もっと魅力あるまちへ

まちと人をつなぐ滞在型の図書館構想で、豊かな文化都市を実現することや田無駅南口周辺のエリアマネジメントで、まちの魅力を高めること、西武新宿線連続立体交差化事業で東伏見地域を活性化すること、保谷庁舎の跡地活用を市民とともに考えるとしています。

福祉を実感できるまち

どんな困りごとも丸ごと受け止める相談支援体制の充実に努めることや介護と医療の連携強化で、在宅介護を支えること、ささえ合えるコミュニティをもっと豊かにするとして歩いて通える居場所づくりを進めることや障害者が日中活動できる場と、社会参加の機会を増やすことを挙げています。

子育てが楽しくなるまち 子どもが生き生き育つまち

孤立しがちな子育てに寄り添い、地域のつながりづくりを支援することや待機児ゼロと学童保育の過密化解消に、全力で取り組むこと、子ども一人ひとりの特性やニーズに応じた、個に寄り添う教育を実現すること、少人数学級を推進、子ども条例の推進で、子どもにやさしいまち、子どもの意見を生かすまちを実現するとしています。

もっと市民が活躍できるまち

市民の文化芸術活動を支援し、アートによるまちづくりで地域の活性化を進めること、市民提案に基づく事業を予算化し、協働のまちづくりを推進、公民館、ゆめこらぼ、地域福祉との連携で地域づくりの担い手を育て、豊かなコミュニティづくりを進める、人権を尊重し、誰もが自分らしく過ごせるまちをつくることを掲げています。

今こそ防災の基盤づくりを

防災資機材、備蓄品を見直し、感染症も含めたあらゆるリスクに備えることや避難所運営協議会と連携し、地域のささえ合いを強化、避難所のコロナ対策と、在宅避難者を支援するしくみづくりに取り組むとしています。また復旧の障壁となる災害ごみ対策に着手するとしています。

未来に続く持続可能なまち

「気候非常事態宣言」を行い、温室効果ガス削減に向けた取り組みを強化することや公園の緑やまちなかの緑、東大農場の緑を大切にし、都市農地の保全に取り組むこと、公用車の電気自動車化で温暖化を防止し、災害時には移動式電源として活用するとしています。

平井竜一が西東京市長選挙を選んだ理由は?

平井竜一氏が西東京市長選挙に立候補する理由として、逗子市長退任後に公民連携コンサルティングに携わる中で西東京市との縁が生まれ、無所属の市議会議員である森輝雄氏、田村広行氏、納田里織氏の3人や市民団体「安保法制の廃止と立憲主義の回復を求める西東京市民連合」から擁立されました。

平井竜一氏は西東京市政を刷新しなければならないという熱意をもった議員の皆さん、そして、市民の皆さんと出会い、西東京市の現状を伺うとともに、このまちの魅力に引き寄せられたとし、以下の3つを決断した理由としています。

  1. このまちを思う市民の熱い期待に応えたい。
  2. 西東京市の可能性をもっと広げたい。「こんなもんじゃないぞ!西東京市」
  3. しがらみがないからこそできる。

確かに今まで西東京市を外から見ていた人物だからこそ出来ることがあると思いますし、平井竜一氏のような経験豊富な人物が市長になれば、西東京市がもっと良い街になるという期待も持てるでしょうね。

平井竜一が逗子市長としてはどうだった?

平井竜一氏は、逗子市長時代に池子米軍住宅地内40ヘクタールの共同使用・返還を実現して、池子の森自然公園として整備すると共に、治安が悪化していた逗子海岸を飲酒禁止等、日本一厳しい条例を制定しファミリービーチとして復活させました。

反面、2018年度当初予算編成前の2017年6月に約7億円の財源不足が見込まれることが判明したため、緊急財政対策を実施し、教育や福祉分野を含む事業を廃止・縮小しました。

その結果、2017年度決算は8億円の黒字となり、対策で財政は安定しました。

しかし財政悪化を招いたとの批判は根強く、2018年の市長選挙で市政刷新を訴えた桐ケ谷氏に、4期目を阻まれました。

平井竜一の評判は?

討論会を見た感想として、市長経験があるからか、色々な知識、西東京市のことを勉強されてるとのコメントがありました。

平井さんは、市長経験があるからか、色々な知識、西東京市のことを勉強されてるなーと。
新しい人を迎えることで、マンネリ化を改善できる可能性大。過去に失敗をしているようですが、次に生かせば、心強い。
常識にこだわりすぎて、ダメになってきた市。新しい血が入ることで、市政、企業、スポーツ等で変わった事例多々。

確かに市長としての経験やコンサルティング業務で得た知識には信用が置ける部分がありますね。

主要候補2人がtwitter上では、お互いネガキャンに終始してるとのコメントがありました。

近く市長選があるようだけど、シンとしてる。候補者は三人だけど、主要候補は二人の模様。twitter上ではお互いネガキャンに終始してるなあ。
掘られた穴を埋めることに終始していては永遠に建物は建たないと愚考。

確かにこれはイメージが悪いですね。政治に興味がない人ほど、離れていってしまいますからね。

支援者の方も政策を地道に訴えることや本人の人柄を訴えるのは良いですが相手の悪口はいけませんね。




平井竜一が当選する確率は?

前回、前々回の西東京市長選の結果から前回丸山市長を支持した無党派から票を引っ張ってこれないと、勝負にならないとのコメントがありました。

 

平井竜一氏は逗子市長を務めていた経験はあるものの西東京市では知名度がない状況ですし、基礎票でも劣っているとなると厳しい選挙を戦うことになります。

しかし平井竜一氏には立候補を働きかけてきた無所属の市議、市民団体といった支持団体のほかに立憲民主党や西東京・生活者ネットワーク、日本共産党が支援しています。

対立候補が現市長の後継候補でもあり、市政を刷新して欲しいとの声を票に繋げられるかが勝負を分けると言えるでしょう。

平井竜一の妻や子どもはどんな人?

平井竜一氏の家族は、北九州市小倉出身の妻と社会人1年目で23歳の長男、大学受験生で19歳の長女、高校2年生17歳の次男の5人家族です。

子育てを経験していることは、これから子育てをする人々のための政策に役立つことでしょうね。

まとめ

  • 2021年東京都西東京市長選挙に出馬表明した平井竜一氏は1966年横浜市生まれの現在54歳
  • 平井竜一氏の学歴は、8歳の時に逗子市に転居、地元の小・中学校から神奈川県立横須賀高等学校を経て早稲田大学社会科学部を卒業
  • 平井竜一氏の経歴は大学卒業後、一般企業に勤務
  • 31歳で逗子市議会議員選挙に立候補し当選、以後3回連続当選
  • 40歳で逗子市長選挙に立候補し当選、以後3期12年市長を務める
  • 平井竜一氏は2018年、4選を目指した逗子市長選挙で落選し市長を退任
  • 一般社団法人で事務局長を務めた後、2020年11月に西東京市長選挙への立候補を表明