【PR】
芸能人有名人

佐竹敬久の経歴や評判は?家系がすごすぎる!?

秋田県知事選挙が2021年3月18日告示、2021年4月4日投票の日程で行われます。

佐竹敬久氏は、秋田県仙北郡角館町出身の現在の年齢は73歳です。

佐竹敬久氏は、大学卒業後の1972年に秋田県庁に入庁、1997年秋田県庁を退職し、秋田県知事選挙へ立候補するも落選します。

その後2001年に秋田市長選挙へ立候補し当選、2期務め2009年に秋田市長を辞職し、秋田県知事選挙に立候補し、当選を果たし以後、3期務めております。

経歴や評判をチェックしていきましょう。

秋田県知事選挙得票数
  • 佐竹敬久(無所属・現)23万3,305票 当選
  • 村岡敏英(無所属・新)19万3,538票
  • 相場未来子(無所属・新)2万3,679票
  • 山本久博(無所属・新)2万617票
ちゅうこ
ちゅうこ
佐竹敬久氏の家系がすごいね!政治家になるために生まれた感じ!

佐竹敬久の経歴は?

【佐竹敬久の経歴】
  • 佐竹敬久氏は1947年11月15日、秋田県仙北郡角館町出身の現在73歳
  • 大学卒業後の1972年に秋田県庁に入庁
  • 1997年、秋田県庁を退職し秋田県知事選挙へ立候補するも落選
  • 2001年、秋田市長選挙に立候補し当選、2期務める
  • 2009年、秋田市長を辞職し秋田県知事選挙に立候補、当選を果たし以後3期務める
  • 2020年11月、秋田県議会本会議で2021年4月執行予定の秋田県知事選挙へ4選を目指して立候補することを表明

佐竹敬久氏は、1947年11月15日に秋田県仙北郡角館町(現・仙北市)で、旧秋田藩主・佐竹氏の親類筋であり、角館の領主であった佐竹北家に生まれました。

現在の年齢は73歳です。

大学卒業後の1972年、秋田県庁に入庁し主に商工行政・地方行政関係を担当しました。

その間、工業振興課長、地方課長、総務部次長などを歴任しました。

その後秋田県庁を退職し、1997年、現職の佐々木喜久治知事の辞任に伴い行われた秋田県知事選挙に自由民主党の推薦を受けて無所属で立候補、263,481票を得票するも、新進・社民・太陽・公明の各党の推薦を受けて無所属で立候補し、291,589票を得票した寺田典城氏に敗れました。

その後同年12月、秋田県の地域経済研究会を設立しました。

秋田市長として活躍

佐竹敬久氏は、2001年7月、前市長の石川錬治郎氏の辞任に伴い行われた秋田市長選挙に立候補、47,064票を得票し、新人4人によって争われた激戦を制し当選を果たしました。
次点の穂積志氏は、44,776票を獲得していましたので、得票差は2,300票弱という薄氷の勝利でした。

市長就任後の同年8月に、秋田県市長会会長に就任
2003年6月には、全国市長会の副会長に就任し、
2004年には、全国市長会財政委員長に就任しています。

佐竹敬久氏は、2005年に行われた秋田市長選挙に再選を目指して立候補、68,274票を獲得し、無所属新人の佐藤純子氏を大差で破り再選を果たしています。

再選後の2006年11月に、政府税制調査会委員
2007年6月には、全国市長会の会長に就任
同年7月には、地方制度調査会の委員に就任しています。

秋田県知事として活躍

佐竹敬久氏は、2009年2月、市長の任期を5か月残して、一身上の理由で辞職願を提出、同年4月に行われた秋田県知事選挙へ立候補しました。

自由民主党・社民党秋田県連などの支持を受け291,150票を獲得、民主党秋田県連などの支持を受けた川口博氏ら新人3人を破り、初当選を果たしました。

2013年の秋田県知事選挙には2期目を目指して立候補を表明、対立候補が現れず無投票で再選を果たしました。

同年、全国知事会の文教環境常任委員長に就任しています。

2017年に行われた秋田県知事選挙で佐竹敬久氏は、公明党・社民党・自由民主党秋田県連から支持を受け335,795票を獲得、無所属で前知事の寺田典城氏、日本共産党公認で元秋田県議会議員の山内梅良氏を破り3選を果たしています。

寺田氏とは、20年前の秋田県知事選挙でも選挙戦を戦い、その時は佐竹敬久氏が破れていますので、20年越しにリベンジを果たしたことになります。

佐竹敬久のその他の活動や趣味

佐竹敬久氏は、誕生日と一緒の坂本龍馬が大好きだそうです。

趣味は大の車好きで自ら愛車を運転し、どこへでも出かけるというドライブ、買い物・後片付けつき料理、ゴルフ、何でも乱読の読書、ゴルフ、以前はよくやったというスキー、カラオケと多趣味で、特に料理は学生時代から友人に自分で作ったものを振舞うほど大好きだそうです。

また秋田県産品のPR活動として、都内で佐竹氏自身が秋田県産品を食材とした料理を作るイベントも行っています。

またフットワークが軽く、超がつくほど社交的で話し好き、街中で初対面の人と談笑する姿やスーパーで食材を吟味している姿、コロナ禍前は秋田市内の居酒屋で飲んでいる姿なども目撃されています。

また無類の猫好きとして知られ、現在自宅で7匹の猫を飼っています。

その中には、2012年に東日本大震災の支援のお礼として、ロシアのプーチン大統領に贈った秋田犬『ゆめ』のお返しとして贈られたシベリア猫のミール君も含まれています。

佐竹敬久氏は名門の血筋に生まれ、秋田県職員から秋田市長、秋田県知事を歴任してきた地方自治のエキスパートと言える方ですね。

また多趣味でフットワークが軽いという点は、何に対しても感心を払い行動できることの証明で政治家として、重要な資質を持ち合わせていると言えるでしょう。

佐竹敬久の学歴は?

【佐竹敬久の学歴】
  • 1966年 秋田県立角館高等学校卒業
  • 1971年 東北大学工学部精密工学科卒業

佐竹敬久氏は地元の秋田県立角館高等学校を経て東北大学工学部精密工学科を卒業しています。

佐竹敬久氏の母校、秋田県立角館高等学校は1925年に秋田県立角館中学校として開校し、県内で唯一馬術部がある学校として知られ、また1980年に上映された映画「思えば遠くへ来たもんだ」のロケも行われました。

2014年、秋田県立角館南高等学校と統合し、新・角館高等学校となりました。

現在の偏差値は「51」と中堅の公立高校で、卒業生には俳優の柳葉敏郎さんがいます。




佐竹敬久の政策や実績は?

【佐竹敬久の政策・実績】

佐竹敬久氏は、現在の秋田県政の優先順位について、以下の3点を挙げています。

  1. まず、今優先すべきことは今を乗り切ることです。
  2. 同時に、コロナ禍にあっても進めるべきこと
  3. 次に、「今ある危機」を乗り越えた先に向けた果敢なチャレンジです。

◎佐竹敬久氏は「非常時にこそ、積み重ねた経験が生かされる」として、秋田県は、コロナ感染を抑え込むことを全国で最も成功したとしています。

具体的には・・・

  • コロナ禍の中でテレビや新聞等での、県外との往来を控えていただく呼びかけ
  • 全国緊急事態宣言を受けての速やかな休業要請と協力金支給
  • 感染者の増加に先行しての病床・検査体制の拡充などを進めた

その上で、ワクチン接種を滞りなく進め、命と地域を守り、同時に秋田県の未来への歩みを加速させる必要があり、そのためには佐竹氏自身の経験を活かしていきたいとしています。

個別の公約は14個掲げています。

今こそ公助の発揮・県民生活への幅広い支援
コロナにより、生活に困っている方、子育て世帯、失業された方などへの生活支援

深刻な影響を受ける産業への緊急支援
売り上げ減少で大変な思いをしている、宿泊・土産品・交通など観光関連産業や、飲食業、集客を前提とした文化・スポーツ活動、食材生産者、商店街・飲食業組合などへの緊急支援の継続

医療・検査体制と福祉機能の充実、現場で働く人の負担軽減
医療機能・感染症検査体制の強化と福祉体制の拡充強化、最前線で奮闘している従事者への支援の充実、医療・福祉施設の経営健全化

急速な産業構造変化へ機敏な対応
コロナの影響により、これまでのやり方を変えなければならない中小企業分野の転業・業態転換への支援強化

時代の変化を見据えた成長産業の拡大
工業の海外から国内への回帰の流れや、加速するICT化、自動車のEV化などを見据えた企業誘致の推進と地元企業の参入支援

新しい働き方で地域の元気回復
会社に出なくとも仕事ができるリモートワークなど、企業のデジタル化支援と、リモートワーク、ワーケーションによる移住、関係人口政策の推進

時代を進めるデジタル化の推進
どこでも誰でも活用でき、県民に役立つ県行政のデジタル化

新時代をひらく人材育成
教育のデジタル化や教職員の負担軽減を進め、個性を重視し多様性に満ちた教育を推進
産業構造の変革に即した高校教育、秋田を元気にする大学の研究機能の強化

安全安心・暮らしと経済を支える公共基盤の整備
地球温暖化による豪雪、風水害など大災害に強い県土づくりと、県勢発展と県民の利便性向上に向けた陸海空の交通基盤整備の継続実施

老若男女、健康で自由闊達、誰もが活躍できる社会づくり
健康寿命日本一をめざす中で、貴重なお年寄りの経験と能力を活かし、若者の多様な力を存分に発揮できる新時代の秋田づくり

差別のない寛容で優しい秋田づくり
産業構造の変化に伴う格差拡大、男女差やLGBTなど性的指向、職業や障がい、また今回のコロナ禍のなかでの誹謗中傷など、あらゆる差別のない寛容で優しい社会づくり

新産業と雇用を生み出す総合的再生可能エネルギー戦略
水力、バイオマス、地熱に加え、豊富な風資源を活かし、景観や他産業とも調和した洋上風力発電と部品製造、メンテナンスなど関連産業群の立地促進

温暖化対策に貢献する秋田の森林資源
二酸化炭素吸収源として再造林拡大による山の若返りと木材産業振興…熊やイノシシ対策にもつながる

食糧供給県秋田だからこそ農林水産業の役割増大
地球温暖化による砂漠化などにより、次の世界的危機は食糧争奪戦と言われるなかで、国産主食源の米を中心に複合化農業の推進と、タンパク源としての畜産、水産など命の安全保障、農林水産業の一層の振興(今冬の県南部を中心とした大きな農業被害の復旧復興対策の継続支援)

佐竹敬久の評判や支持率は?

動物愛護を重視するなら、秋田の”猫知事”と呼ばれる、この現職候補一択
全力で応援しましょう!

佐竹敬久氏の評判として、動物愛護に関するものがありました。
佐竹敬久氏は猫好きで知られており、そのことが政策にも活かされていることに対して好感の声が上がっています。

 

佐竹敬久が再選する確率は?

  • 村岡氏と佐竹氏 〈競り合う〉
  • 山本氏と相場氏 〈伸び悩む〉

秋田県知事選の中間情勢についてこんなコメントがありました。

各候補の支援体制についてのコメントでこのようなものがありました。

4月4日投開票秋田県知事選の候補者と前回の結果です。

  • 現職の佐竹敬久氏は公明が推薦し、自民県連と社民の他、立民の一部国会議員も支持
  • 新人で元衆院議員の村岡敏英氏は自民を離党した県議らが支援
  • 共産は新人の相場未来子氏を推薦

<県知事選挙の情勢について>

菅首相地元・秋田知事選で保守分裂、政権運営影響も

  • 4選を目指す現職の佐竹敬久
  • 元衆院議員の村岡敏英
  • 共産党の相場未来子
  • 美容室経営の山本久博

自民党県連は佐竹氏を支持するが、一部は菅首相に近い村岡氏支援に回り「保守分裂」の事態。
共産の相場氏に追い風か。

佐竹敬久氏は、公明党が推薦する他、自由民主党秋田県連、社民党や立憲民主党の一部国会議員が支援しています。

対立候補も、それぞれ支援体制を整えており、激戦が予想されています。

佐竹敬久氏が当選を果たすためには、今までの実績に加え今後の公約を訴えることが重要でしょう。

また3期に渡り、県知事を務めてきた知名度を活かすことも重要でしょう。

佐竹敬久の家系がすごすぎる?

佐竹敬久氏の家系である佐竹氏は、清和源氏の一家系である河内源氏の流れをくみ、常陸源氏の嫡流であり、武田氏に代表される甲斐源氏と同族です。

平安時代末期から常陸国(現在の茨城県)北部を支配し、室町時代以来常陸守護の家柄で、源氏から中近世大名、華族として明確な系譜が現代まで残っています。

佐竹氏は関ヶ原の戦いで、中立的立場を取ったため、それまで治めていた常陸国から出羽国秋田に減転封されました。

佐竹敬久氏の家は佐竹北家と呼ばれ、江戸時代を通じて藩主の一門として、家老職を任されると共に角館を所領していました。

明治維新後は男爵となり、佐竹敬久氏はその佐竹北家の21代目に当たります。
まさしく世が世なら、お殿様の家系に生まれたことになります。

平安時代から自身の先祖の資料が詳細に残されているというのがすごいですね。
普通ではなかなかないことだと思います。

佐竹敬久氏には奥さんと娘さん、息子さんがいます。

また息子さんご夫妻にはお孫さんも1人います。

佐竹敬久氏は奥さんが1947年生まれの睦子さん、娘さんは1973年生まれの久美さん、息子さんは1975年生まれの敬文さんです。

佐竹敬久氏は名門の家柄で系譜を残す必要があるため公開されていますが、詳細の情報はわかりませんでした。

まとめ

  • 佐竹敬久氏は1947、秋田県仙北郡角館町(現・仙北市)出身の現在73歳
  • 江戸時代、秋田藩主であった佐竹氏の一門、佐竹北家の21代目
  • 秋田県立角館高等学校を経て東北大学工学部精密工学科を卒業
  • 大学卒業後、秋田県庁に入庁
  • 1997年、秋田県庁を退職し秋田県知事選挙へ立候補するも落選
  • 2001年、秋田市長選挙に立候補し初当選し2期務める
  • 2009年、秋田市長を辞職、秋田県知事選挙に立候補し初当選、以後3期務める
  • 2020年11月、2021年4月執行予定の秋田県知事選挙へ立候補を表明