沼津市長選挙が4月17日に告示され、4月24日に投開票が行われます。
立候補者は、現時点では現職の頼重秀一氏(53)1名です。
現職の頼重秀一氏は、今回の市長選で2回目の再選を目指しています。
頼重秀一氏は、1968年8月9日、静岡県沼津市生まれの53歳です。
国会議員の公設秘書を務め、市議会議員を4期務めた経歴をもつ、現職の沼津市長です。
そんな頼重秀一氏の経歴や学歴、評判をチェックしていきましょう。
頼重秀一の経歴は?
【頼重秀一の経歴】
1991年03月 日本大学理工学部建築学科企画経営コース卒業
1991年04月 株式会社間組に就職
1998年 木部佳昭衆議院議員の公設秘書
2003年04月 沼津市議会議員選挙初当選(4期)
2018年04月 沼津市長選挙初当選
頼重秀一氏は、1991年3月日本大学理工学部建築学科企画経営コースを卒業し、株式会社間組(ハザマ)に就職します。
1998年、衆議院議員木部佳昭氏の公設秘書となります。
2003年4月沼津市議会議員選挙に初当選し、4期務めました。
2017年に第83代沼津市議会議長に就任しました。
静岡県市議会議長会会長、全国若手市議会議員の会東海ブロック会長も務めています。
政治家を目指したきっかけは、木部佳昭氏から秘書の声かけをいただき、大学の理工学部で、建築やまちづくりを学び興味があった為、沼津のまちづくりに秘書として一緒に関わった事だそうです。
市議会議員選挙の選挙戦最終日に、朝スタートしてすぐに手を振ってくれている人が目に留り、車から飛び降りて、坂道ダッシュした際に、肉離れを起こしてしまったそうです。
手を振ってくれた人が、応急処置をしてくれました。
自分の不注意がおこした事ですがですが、感謝感激した出来事だそうです。
握手しに行こうとしたのでしょうね。猪突猛進なところがあるのでしょうか。
2018年3月21日、沼津市長の大沼明徳が小脳出血により死去。
同年4月に、大沼明徳の死去に伴う市長選挙に立候補し、初当選を果たしました。
市議会の一般質問の答弁で「市民の皆様から負託をうけることができるのであれば、引き続き市政運営に全力投球させていただき、全身全霊を傾けて取り組んでまいる覚悟です」と述べ、出馬の意向を明らかにしました。
市議会議員4期の経験は、地元に根付いた活動も多いので市民の信頼を得ているのがわかります。
趣味は、観葉植物、音楽鑑賞、ドライブ です。
イージーリスリングを聞きながらドライブするのが好きだそうです。
観葉植物は、多肉植物やサボテンに、はまっているそうですよ。
自然が好きなようで心が癒される趣味ですね。
頼重秀一の学歴
沼津市立開北小学校、沼津市立第五中学校卒業
1987年03月 日本大学三島高等学校卒業
1991年03月 日本大学理工学部建築学科企画経営コース卒業
頼重秀一氏は、静岡県沼津市出身で、高校進学まで静岡県内に進学しています。
頼重秀一氏は、沼津市開北小学校、沼津市立第五中学校を卒業。
1987年3月日本大学三島高等学校を卒業、1991年3月日本大学理工学部建築学科企画経営コースを卒業しました。
日本大学三島高等学校は、ICT教育やグローバル教育に力を入れており、多様なフィールドでリーダーシップが発揮できる人材を育てています。
小学校の時に鼓笛隊で、高校時代もブラスバンドで、トランペットを担当しました。
トランペットは花形なので、練習も大変だったそうです。
市長としてのリーダーシップは、高校時代に培ったものでしょうね。
頼重秀一の実績は?
頼重秀一氏の一期目の実績は、市政の継続と、多発する自然災害への対応、新型コロナウイルス禍への対応にあたりました。
県と進めるJR沼津駅周辺の鉄道効果事業の用地取得完了や子育て環境整備を実施しました。
2022年度の待機児童の状況は、3年連続でゼロを達成しました。
施設の拡充や空きがある施設の情報をタイムリーに発信したことなどが、功を奏しました。
「フェンシングのまち」のブランド形成をしました。
頼重秀一の政策や公約は?
「人・まち・自然が調和し、躍動するまち」
重点的に取り組む4つの視点
- 暮らしやすいまちへ
- ひとが行き交うまちへ
- 産業が元気なまちへ
- 安全・安心のもとで暮らせるまちへ
1.暮らしやすいまちへ
都市の活力や発展を支える定住人口の確保に向け、出生数の減少傾向を抑制するとともに、転出超過を解消するための取り組みを継続し、沼津に住みたい、住み続けたいと思えるまちづくりを積極的に推進します。
- 若者世代にとって安心して子育てしやすい環境の整備
- 地域の未来を担う人材育成につながる教育環境の整備
- 都市的魅力や利便性の向上
子育てしやすい環境は、若い夫婦の定住化につながりますので、同時に人材育成にも繋がりますね。
2.ひとが行き交うまちへ
アフターコロナを見据え、再び多くの人々に本市を訪れていただき、市民とともにまちを盛り上げるため、交流人口や関係人口の拡大を図ります。
- オリンピックレガシーを活用したスポーツツーリズムの推進
- 恵まれた自然環境や地域資源を活用した周遊観光の促進
- 公共空間の利活用による日常的なにぎわいの創出
オリンピックレガシーの活用は、他県からの観光客も集客できるアイデアですね。
3.産業が元気なまちへ
産業の振興は、雇用の拡大や地域経済の活性化をもたらし、市民の豊かな生活、まちの魅力向上及び人口減少の抑制につながる重要な施策です。人が集まる、産業が元気なまちを目指すとともに、コロナ禍からの経済立て直しに向け、産業振興策に積極的に取り組みます。
- 製造業や次世代型植物工場等の企業立地支援
- 農水産物のブランド化
- 多様な人材の活躍推進
農産物のブランド化は、SNSを使った情報発信で、同時に地域の魅力もアピールできるので画期的です。
4.安全・安心のもとで暮らせるまちへ
近年多発する大規模な自然災害や、複雑多様化する犯罪などから市民の生命・財産を守り、誰もが安全・安心を実感して暮らすことができるまちづくりを進めるため時代の潮流を踏まえた新たな視点を取り入れつつ、適切な対策を講じます。
- 激甚化する豪雨災害に対する総合的な治水対策
- 犯罪被害者等が早期に日常生活を回復するための支援
南海トラフ巨大地震に備えた地震津波対策は、豪雨災害も含め市民の生命を守る大切な政策です。
頼重秀一の評判は?
とても市長を身近に感じている声が、多かったように思います。
頼重秀一が再選する確率は?
市議会議員時代に、議長を務めたくさんの団体と接触し、市長になってからも、イベントなどにも数多く出席されています。
市民が、市長をとても身近に感じているように思いました。
現段階では、立候補者は頼重秀一氏のみです。頼重秀一氏の再選確率は、高いと思われます。
頼重秀一の妻や子どもは?
頼重秀一氏の妻の詳しい情報は、ございませんでした。
子どもは、1男1女です。
自宅の共同スペースを占拠し、夏休みの宿題に没頭する息子さんの姿は、ご自身の姿をかいまみたようです。
お昼のホットケーキを焼く娘さんの姿もありました。
娘さんの焼くホットケーキは、お父さんにとっては、最高の料理ですね。
まとめ
- 頼重秀一氏は、1968年8月9日静岡県沼津市生まれの53歳です。
- 頼重秀一氏の経歴は、1991年3月日本大学理工学部建築学科企画経営コースを卒業し、株式会社間組(ハザマ)に就職します。1998年衆議院議員木部佳昭氏の公設秘書となり、2003年4月沼津市議会議員選挙に初当選し4期務めました。2017年に第83代沼津市議会議長に就任。静岡県市議会議長会会長、全国若手市議会議員の会東海ブロック会長も務めます。2018年3月21日、沼津市長の大沼明徳が小脳出血により死去。同年4月に大沼明徳の死去に伴う市長選挙に立候補し初当選を果たしました。
- 頼重秀一氏の学歴は、日本大学理工学部建築学科企画経営コース卒業です。
- 頼重秀一氏の公約・政策は、「人・まち・自然が調和し、躍動するまち」
重点的に取り組む4つの視点
- 暮らしやすいまちへ
- ひとが行き交うまちへ
- 産業が元気なまちへ
- 安全・安心のもとで暮らせるまちへ
- 頼重秀一氏の家族は、妻の詳しい情報はございませんでした。子どもは1男1女です。