愛知県岡崎市は愛知県ほぼ中部にあり、徳川家康の生誕地として知られ、人口はおよそ38万人です。
岡崎城の城下町として栄えた歴史ある街でもあり、三菱自動車工業岡崎製作所がある県内有数の工業都市でもあります。
その岡崎市で市長選挙が10月11日告示10月18日投票の日程で行われます。
その岡崎市長選挙に立候補を表明している現職市長の内田康宏氏について経歴や学歴、評判について調べてみました。
3回目の当選を目指す内田康宏氏は一体どんな人物なのか?
経歴・学歴・評判と共に公約や実績についても探っていきます。
<10月18日の結果>
- 中根康浩氏得票数103080票
- 内田康宏氏得票数70469票
投票率は57.25%でした。
残念ながら内田康宏氏は3回目当選はできませんでした。
内田康宏の経歴は?
内田康宏氏は1952年12月23日生まれの現在67歳です。
愛知県岡崎市に生まれ、大学卒業後米国留学を経て1979年5月、安倍晋太郎衆議院議員の秘書になりました。
1980年2月、当時長年に渡り保守系の衆議院議員を輩出していなかった岡崎市から「岡崎から代議士を」という声が盛り上がっていました。
内田康宏氏の父、内田喜久氏は当時岡崎市長を務めており、喜久氏本人か息子の康宏氏が衆議院議員に立候補することを考えていました。
しかし、秘書として仕えていた安倍衆議院議員や安倍氏が所属していた自由民主党清和会、当時の愛知県知事などからは立候補を断念するよう説得されていました。
同年5月16日、当時の大平正芳首相は内閣不信任決議案の可決を受けて衆議院解散を決定しました。
同年5月20日、内田康宏氏が正式に出衆議院議員選挙に旧愛知4区から出馬を表明しました。
しかし、求めていた自由民主党の公認は得られず無所属での立候補となりました。
当時27歳という若い候補者でしたが次点で落選しました。
さらにこの選挙に関連して父親の内田喜久氏はじめ岡崎市議会議員の数人も選挙違反で検挙され、内田喜久氏は同年6月30日に岡崎市長を辞職しました。
内田康宏氏はしばらくの間、浪人生活を送りました。
その間親類の経営する会社に勤務して損害保険代理店の仕事に就いていました。
1987年4月、愛知県議会議員選挙に岡崎市選挙区から立候補し、初当選を果たしました。
その後、2011年の選挙まで7回連続で当選を果たし、任期中の2003年11月には愛知県議会副議長に就任。
2006年5月には愛知県議会議長に就任しました。
2012年4月に岡崎市長選挙への立候補を表明し、同年9月に県議会議員を辞職しました。
2012年10月に挙行された岡崎市長選挙で、引退した前市長や県知事が推薦した対立候補を破って初当選を果たしました。
2016年10月、2回目の市長選挙で再選され、今回3回目の当選を目指して立候補を表明しています。
内田康宏氏のHPによると無類の動物好きで幼児期は犬小屋で犬といっしょに寝ていたといいます。
現在、岡崎市動物総合センターから引き取った犬1匹と猫3匹、拾った猫3匹、生まれた猫4匹に囲まれ暮らしているそうです。
確かに間違いなく動物好きですね。
座右の銘は
「我が志によって立ち、我が旗のもとに倒れる、もって悔いなし」
という自作の言葉をあげています。
座右の銘を自分で考えている人は珍しいかもしれませんね。
内田康宏の学歴
- 岡崎市立連尺小学校
- 岡崎市立城北中学校
- 愛知県立岡崎北高等学校
- 日本大学法学部政治経済学科
- インディアナ大学政治学
内田康宏氏は、高校時代は水泳部に所属し、運動部員として活躍していました。
1971年3月に高校を卒業、その後日本大学法学部政治経済学科に入学。
1975年3月に同大学を卒業後渡米し、1976年6月インディアナ大学に入学、政治学を専攻しました。
内田康宏の家族構成は?
内田康宏氏のHPによると妻と二男一女がいます。
詳細の情報は分かりませんでしたが、1982年の12月に結婚したとの記載がありましたので30歳で結婚したことになります。
ですのでお子さんは20代~30代ということになりますね。
内田康宏氏の父は愛知新聞社(現・東海愛知新聞社)を設立し、愛知県議会議員や岡崎市長を歴任した内田喜久氏です。
内田康宏岡崎市長3期目としての政策は?
内田康宏(やすひろ)岡崎市長の事務所を訪問。2期8年にして濃密な実績で岡崎市政をリード。
先般、市役所に公明市議団と市長を訪問した際も、ICT教育を端末配布に終わらせず教育の充実に進化させるなど未来志向の政策を熱く語られました。
岡崎は、もっと良くなります!
内田康宏市長を応援します! pic.twitter.com/s7NT4L94IH— 里見りゅうじ (@satomi_ryuji) October 2, 2020
内田康宏氏は市長3期目の公約を様々に掲げています。
阿知和地区工業団地に東名自動車道の「(仮称)岡崎阿知和スマートインターチェンジ」の設置を目指しています。
2022年度までに全小中学生に一人1台のタブレット端末を整備することを表明してします。
3年間で市内の小中学生と教員分の計約3万5,500台を購入する予定です。
それに関連して、2021年3月末までに全教室にWi-Fiを導入することも表明しています。
また中学生卒業までの医療費無償化にくわえて高校卒業まで入院費無償化を公約に掲げており、他にもアウトレットモールや大型商業施設の誘致・新しい工業用地の確保・岡崎市の歴史を活かした観光の振興・東岡崎駅周辺の再開発と整備・防犯カメラ1000台設置などを掲げています。
現状のコロナ禍への対応も公約に入っています。
内田康宏氏は現職の市長だけあって非常に具体的かつ実現性が高い公約を挙げている印象です。
内田康宏の岡崎市長としての評判は?
内田康宏氏のネット上での悪い評判は見当たりませんでした。
最初の市長選挙の時には対立陣営を支援していた愛知県知事や連合愛知・公明党も現在は内田氏の支援に回っていますので、市長として務めた8年間でキチンと仕事をしているという評価なのかもしれませんね。
参考までに内田康宏氏の2期8年の市長としての実績を下記にまとめました。
官民連携組織である「岡崎活性化本部」を設置し、新築か改修かで議論になっていた岡崎市民会館の老朽化対策については改修するを決定しました。
この決定は前市長時代に着手されていた移転・新築計画紙を白紙撤回するもので内田氏の選挙公約でもありました。
また、JR岡崎駅東口ロータリーの南で空き地となっていた11,000平方メートルの市有地に民間資本を導入し、再開発の拠点とする計画を発表しました。
開発事業者には8,000平方メートルを貸し、残りの3,000平方メートルについては市が新たに公園を整備する計画です。
発達障害児の相談・医療・支援を総合的に提供する施設「岡崎市こども発達センター」を岡崎市福祉の村に設置しました。
愛知県がんセンター愛知病院の経営を2019年4月から岡崎市民病院に移管して機能を再編することで地域医療体制を強化しました。
市内の公立小学校47校と公立中学校20校の普通教室に約30億円を投じて業務用エアコンを設置しました。
新型コロナウイルス感染拡大の緊急対策として、小中学校・公私立保育園・こども園・私立幼稚園の給食費の9月まで無償化やまた市独自の政策として、休業要請に応じていて給付金の支給対象から外れた事業者に25万円を支給。
さらに6か月間の水道料金の基本料金の8割を減額するなどの対策を取りました。
面白いところでは、市の観光プロモーションのため吉本新喜劇に岡崎市長役で出演しました。
内田康宏の現在の年収は?
内田康宏氏の年収について調べるために岡崎市の条例を確認してみました。
岡崎市の条例によると、岡崎市長の月額報酬1,122,000円と定められています。
他に期末手当が年間3.4ヶ月分支給されると定められていますので計算しますと内田康宏氏の年収はおよそ1,730万円となります。
市長は他の仕事との兼職ができませんので、この金額が内田康宏氏の年収ということになります。
高いか安いかは判断が難しいところですが、市長は特別行政職で決まった休みや勤務時間がなく、365日いつでも働かなくてはならない公人ですのでそれなりの報酬はもらってもいいのではないでしょうか。
仮に仕事が足りないと判断されれば選挙で審判を受けることになりますから。
内田康宏が当選する確率は?
一般的に首長選挙は現職有利と言われます。
内田康宏氏は県議会議員7期と市長2期務め知名度は抜群ですし、自由民主党・公明党・連合愛知の支援を受けていることもありますので、当選する確率はかなり高いのではないでしょうか。
まとめ
- 内田康宏氏は岡崎市出身、1952年12月23日生まれの現在67歳
- 大学卒業後アメリカに留学
- 安倍晋太郎衆議院議員の秘書を経て衆議院議員選挙に立候補するも落選
- その後県議会議員となり連続7回当選、副議長・議長を歴任
- 県議会議員を辞職して岡崎市長選挙に立候補し2回当選、今回3回目の当選を目指している
- 家族は妻と二男一女、父親は元愛知県議会議員・岡崎市長を務めた