元衆議院議員の中根やすひろ氏は、来たる10月11日告示10月18日投票の日程で行われる岡崎市で市長選挙がに立候補を表明しています。
3回目の当選を目指す現職市長に挑む中根やすひろ氏は、紆余曲折ありましたが市長選に出馬するのが今回初めてです。
そんな中根やすひろ氏の今までの経歴や学歴をチェックしていきましょう。
そして、3回目の当選を目指す現職市長に挑む中根やすひろ氏の政策についても現職市長とどういう点が異なるのかという点をポイントに評判を見ていきます。
人口はおよそ38万人の愛知県岡崎市の市民の票をどのくらい獲得できるか楽しみです。
<10月18日の結果>
- 中根康浩氏得票数103080票
- 内田康宏氏得票数70469票
投票率は57.25%でした。
中根康浩氏が初当選!おめでとうございます。
中根やすひろの経歴は?
【183日後に岡崎を変える中根やすひろ】
《160日目》
岡崎を変えるまで23日❗❗#岡崎トーク#中根やすひろ
やはぎ館での岡崎トークでは大変有意義な意見交換ができました pic.twitter.com/T03QVgmejm— 中根やすひろ (@nakayasu40) September 26, 2020
中根やすひろ氏は1962年8月17日生まれの現在62歳です。
愛知県岡崎市に生まれ、大学卒業後、戸塚進也衆議院議員の秘書となりました。
1988年10月、岡崎市議会議員選挙に無所属で立候補し初当選しました。
当選後は自由民主党系会派「自由民主クラブ」に所属しました。
しかし、1990年2月に執行された第39回衆議院議員総選挙において、自由民主党の杉浦正健氏が2期目の当選を果たしましたが、翌2月19日、杉浦氏の後援会事務局長の鈴木康夫氏が逮捕され、票の取りまとめに関する現金買収事件が発覚しました。
会派「自由民主クラブ」所属の岡崎市議24人のうち、被買収容疑で起訴された市議は20人に及び、同年3月19日、中根やすひろ氏も同容疑により書類送検されました。
翌1991年8月16日に岡崎市議を辞職しています。
その後、中根やすひろ氏は1994年に新生党の愛知県議会議員選挙公認候補となり、その年の年末新進党が結成されるとそのまま新進党の愛知県議会議員選挙公認候補になりました。
翌1995年4月に行われた愛知県議会議員選挙に岡崎市選挙区より立候補しましたが次点で落選しました。
同年9月に行政書士の資格を取得しました。
その後新進党を離党し民主党に入党、1999年に同党の愛知12区支部長となりました。
2000年6月に執行された第42回衆議院議員総選挙に中根やすひろ氏は愛知12区から民主党公認で立候補しましたが、現職の杉浦正健氏に敗れ落選しました。
2003年11月に執行された第43回衆議院議員総選挙に中根やすひろ氏は再び愛知12区から民主党公認で立候補。
選挙区で再び杉浦氏に敗れましたが、重複立候補していた比例東海ブロックで復活し、初当選を果たしました。
2005年9月執行の第44回衆議院議員総選挙で中根やすひろ氏は、前回総選挙の票数に1万票以上上積みしたものの、再び選挙区で杉浦氏に敗れ、比例復活もならず落選しました。
2009年8月執行の第45回衆議院議員総選挙で中根やすひろ氏は、愛知12区で初めて杉浦氏を破り、4年ぶりに国政に復帰しました。
2011年6月、中根やすひろ氏は民主党愛知県連の代表に就任しました。
2012年2月、復興庁発足に伴う補充人事により中根やすひろ氏は野田佳彦第1次改造内閣で経済産業大臣政務官に任命され、野田佳彦第2次改造内閣まで務めました。
2012年12月執行の第46回衆議院議員総選挙で中根やすひろ氏は、愛知12区から民主党公認、国民新党推薦で出馬しました。
選挙区では自民党新人の青山周平氏に敗れるが、比例復活し3回目の当選を果たしました。
2013年3月、中根やすひろ氏衆院選惨敗の責任をとって民主党県連代表を辞任しました。
2014年12月執行の第47回衆議院議員総選挙で中根やすひろ氏は愛知12区から出馬する予定でしたが、公示日前日の12月1日午前、民主党の海江田万里代表から電話で「小選挙区を降りて比例区に回ってほしい」と告げられました。
同日午後、岡崎市の事務所を訪れた岡田克也代表代行からも
「比例東海ブロック単独1位とする。決定を受け入れられないなら無所属で出馬してくれ」
と命じられて、比例区単独に回ることを決めました。
岡田氏は中根やすひろ氏に
「ここで譲歩しないと、維新の党は全国すべての地域での連携を見直すと言っている」
と述べて、維新の党側から圧力があったこともほのめかしました。
この鞍替えにより、民主党は愛知12区の候補者を維新の党の重徳和彦氏に一本化した形となりました。
結果、中根やすひろ氏は比例単独1位で早々と当選を決め、4選を果たしました。
2016年3月、中根やすひろ氏は民主党と維新の党が合流して結成された民進党に参加しました。
同年8月、民進党の玄葉光一郎選対委員長は、次期衆院選愛知12区の公認候補を重徳和彦氏とし、中根やすひろ氏を次回衆院選に限り比例東海ブロックの単独1位にすると発表しました。
あわせて重徳氏は比例に重複立候補しないことも定められました。
2017年9月27日、臨時国会の召集冒頭で衆議院が解散した日の夜、重徳和彦氏の選対本部長として選挙対策会議に出席していた中根やすひろ氏の携帯電話に民進党幹部から連絡が入った。
それは「愛知12区からの立候補」の打診でした。
「(重徳氏との競合で)自民党を利することになるだけだ」
と提案を固辞すると、民進党との間で交わした比例単独1位の約束は
「すべてリセットする」
と告げられました。
希望の党第2次公認発表直前の10月4日夕方、民進党の玄葉光一郎総合選対本部長代行から、山尾志桜里氏への刺客を意味する愛知7区の公認内定の連絡を受けました。
中根やすひろ氏はこのときすでに7区での出馬準備を進めていたが、関係者から
「7区に行けば岡崎を歩けなくなる」
と国替えを思いとどまるよう説得され、結局辞退しました。
第48回衆議院議員総選挙で中根やすひろ氏は小選挙区からの出馬を断念し、順位はともかくも比例単独名簿に登載されることを希望の党に求めました。
希望の党の比例代表名簿発表は公示日当日の10月10日までずれ込み、かつ順位が判明したのは同日の午後でした。
結局中根やすひろ氏は比例東海ブロックの単独24位に名簿登載されました。
同年10月22日投開票の結果、希望の党が同ブロックで獲得した5議席のうちに含まれず落選しました。
2019年8月8日、中根やすひろ氏は翌年10月に実施予定の岡崎市長選挙に立候補する意向を固めたことが明らかとなりました。
現在市長選挙に向けて精力的に活動をしてします。
中根やすひろの学歴は?
- 岡崎市立常磐小学校
- 岡崎市立常磐中学校
- 愛知県立岡崎高等学校
- 早稲田大学商学部
1978年に愛知県立岡崎高等学校に入学。
1981年に早稲田大学商学部に進学し、1985年に同大学を卒業しました。
中根やすひろ氏は地元の小中学校から公立高校に進み、東京の大学に進学したんですね。
中根やすひろの家族構成は?
中根やすひろ氏には妻と2人の娘がいます。
下の娘さんが知的障害者として生まれたことが中根やすひろ氏の政治活動の原点だと言い、障害者対策で民主党の責任者を務めたこともあります。
父親は岡崎市議会議員・愛知県議会議員を務めた中根薫氏です。
中根やすひろの政策は?
- まちバス充実で、どこに住んでも安心安全市民参加型市政で、岡崎の魅力を高める市民税減税で好循環を生み出す!
- 公共トイレを洋式化してバリアフリーに子どもへ投資で、すべての年代の未来を明るく市長の退職金をゼロにし、明確な成果を示す高齢者・福祉・健康を支える人材確保と制度充実道路渋滞の解消で、仕事も暮らしも効率アップ!
- 地消地産型学校給食など、具体的なビジネス支援を!
- 80億円のコンベンションホールを再考する
中根やすひろ氏は以上の10点を具体的な政策として掲げています。
現職市長の市政運営に対して批判的な意見を発信していますね。
中根やすひろの評判は?
中根やすひろ氏のネット上での悪い評判は見当たりませんでした。
衆議院議員として4期10年務め、大臣政務官も務めた中根やすひろ氏はキチンと仕事をしていたと評価されているのでしょう。
中根やすひろが当選する確率は?
もともと首長選挙は現職有利と言われます。
今回の選挙で中根やすひろ氏は完全無所属を標榜していて、目立った支持組織はなさそうです。
しかし中根やすひろ氏は1年以上前に市長選挙に立候補を表明し地道に活動を続けていることや、衆議院議員総選挙に地元の愛知12区から5回立候補している知名度を考えると、現職市長に対する批判票をまとめることが出来れば当選の可能性も充分あるのではないでしょうか。
まとめ
- 中根やすひろ氏は1962年8月17日生まれの現在62歳、愛知県岡崎市出身
- 地元の小中学校から地元の公立高校を経て早稲田大学を卒業
- 大学卒業後、戸塚進也衆議院議員の秘書に
- 岡崎市議会議員を務めた後、愛知県議会議員選挙に立候補するも落選
- 行政書士の資格を持っている
- 衆議院議員選挙に7回立候補し4回当選、うち小選挙区で1回当選・比例区で3回当選
- 1年以上前に岡崎市長選挙に立候補を表明、選挙活動を続けている