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名取燎太の進路はコニカミノルタ?強さの秘訣は?

東海大学4年生の名取燎太選手は2021年の箱根駅伝をもって大学駅伝は終了し、今後の進路が決まりました。

名取燎太選手は、4月からはコニカミノルタに所属します。

コニカミノルタは、実業団強豪校としても知られているため今後益々活躍しそうな選手に成長することが期待できます。

そんな名取燎太選手の強さの秘訣を一緒にみていきましょう。

ちゅうこ
ちゅうこ
大学卒業しても活躍してほしいです!

名取燎太の進路はコニカミノルタ?


現在、東海大学の4年生である名取燎太選手。

2021年4月からは実業団の強豪「コニカミノルタ」へ就職することが決定いたしました。

同期として、帝京大学の星岳選手(箱根駅伝2019 10区区間賞)などがあげられます。

名取燎太が就職先を選択した理由は?

コニカミノルタ陸上競技部は実業団強豪校として知られており、特にニューイヤー駅伝においては毎年上位入賞を果たす、エリートチームとして知られています。

名取選手は、高校、大学とトップレベルのチームに所属し、結果を残してきました。

周りのレベルが高い環境で練習してきた名取選手は、今後も成長していくために、実業団のトップチームであるコニカミノルタを選択したと思われます。

菊地賢人キャプテンを始め、10000m 27分台の山本浩之選手、30km 1時間30分切りの蜂須賀源選手といった実力を持った選手、また、岡慎一郎部長の元でコニカミノルタにとって必要不可欠な選手に育つことを期待します。

また、ハーフマラソン以上の距離に順応し、将来日本を代表する選手になる可能性も秘めています。

今後の活躍も要注目です。

名取燎太の強さの秘訣は?

名取選手は人一倍努力家のため、練習の過多による怪我も多い選手です。

しかし、そういう状況においても練習を決して諦めることのない貪欲さが彼の武器です。

無理をしない練習方法で怪我を直しつつ、走れるようになったときにベストの状態に持っていくことができるようなトレーニングを積んでいます。

これは誰でもできることではなく、一流のアスリートだけができることです。

名取燎太は箱根駅伝で何区を走る?

箱根駅伝2020では4区で2位という好成績を残しました。

今年は東海大学のエースとして、2区を含めた前半起用が予想されます。

往路で差が付いてしまうと、総合優勝をするのが困難なためです。




名取燎太の成績は?

大学時代

大学は長距離名門校、東海大学に進学しました。

大学時代は怪我に悩まされた陸上生活となりました。

東海大学入学直前に疲労骨折。

夏に復帰したものの、その後アキレス腱や足首のけがなどを繰り返し、思うように走れない状態が続きました。

2年生の時に両角(もろずみ)監督から別メニューでの練習を提案され、そこからひたすら地道な足づくりが始りました。

歩くことからスタートするという長い道のり。

その後、長い距離に特化した練習で走り込みを行いました。

両角監督と一緒に走ったり、継続して練習を積み重ねることで怪我を予防することができたと本人は当時のことを振り返っています。

怪我をしているときは、「やるしかない」と自分に言い聞かせて、できるトレーニングを継続してきました。

長い間、日々の地道な努力による積み重ねを続けられるという忍耐力と努力を有している選手です。

その練習の成果は3年生になって結果が現れます。

2019年10月に行われた札幌マラソンでは、1時間2分44秒の大会新記録で優勝

11月には、全日本大学駅伝2019のアンカーで学生3大駅伝デビュー

前を走る青山学院大の飯田貴之選手を抜き、区間2位のタイムで16年ぶりの優勝

優勝に貢献したということが大きく、大会MVPも獲得しました。

「優勝のゴールテープを切れたということは、シンプルに嬉しいです。アンカーの経験はその後に生きてきてるので、すごいいい経験をさせてもらったなと思います」

と本人は話しています。

箱根駅伝2020では4区区間2位でしたが、このとき実は再び足を痛めており、万全の状態ではなかったです。

練習があまりできなかった中で区間2位のタイムを出せたのは、過去の経験が大きく、「ある程度走れる」という自信があったからでした。

練習の積み重ねが名取選手を成長させました。

4年生となった今年は、駅伝競技だけでなくトラック競技にもしっかりと取り組み、5000mは13分45秒切り、10000mは28分20秒切り目標に立てました。

しかし、新型コロナウイルスの感染拡大に伴い、トラック競技大会が中止に。

緊急事態宣言下では、大学にすら入れない日々だったと言います。

しかし、名取選手を初め、4年生は寮に残り、競技場の外周などを利用して練習してきました。

4年生最初のレースは7月の東海大記録会になりました。

しかし、記録会直前にも足を痛めてしまっていました。

それでも、タイムは5000m 13分55秒23と上々のタイムをマーク。

怪我がなければ、目標の13分45秒を切れたのではという結果でした。

怪我も治った9月の東海大記録会では10000m 28分10秒51で走り自己ベストを更新し、目標を達成しました。

2度目の伊勢路となった全日本大学駅伝2020では、2年連続アンカーに起用

2位で襷を受け取った名取選手は駒澤大学の田澤廉選手と並走し、トップを追従。

トップの青山学院の吉田圭太選手を抜くと、常に名取選手が一歩前に出て走る状態に。

その状態はゴール直前まで続きました。

最終的にはスピードのある田澤選手のラストスパートに付いていくことができませんでしたが、常時後輩を引っ張る姿は4年生としての姿を見せてくれたように思いました。

高校時代

中学校卒業後、長野県内にある佐久長聖高校に進学しました。

佐久長聖高校は、駅伝で名を馳せており、また、他のスポーツにおいても全国大会常連校で有名な高校でもあります。

高校時代の名取燎太選手は、3年連続、全国高校駅伝に出場しています。

高校1年生のときに2区で4位2年生のときに4区で6位3年生のときには1区で区間賞を獲得しました。

その他にも、全国都道府県対抗男子駅伝競争大会に、高校2年生のときから出場しています。

2年生のときに1区で10位3年生のときに5区で区間賞を獲得しています。

以上のように、駅伝の全国大会で実績を残したことから、長距離名門の東海大学から声がかかり進学することになりました。

中学時代

名取燎太選手の出身は長野県で、中学校は、富士見町立富士見中学校に通っていました。

中学時代の名取燎太選手は、長野県中学校駅伝競走大会に出場し、2年生の時は2区で2位3年生のときは1区で区間新記録を獲得しています。

ここでの経験が今後も陸上を続けていく原動力になったと思われます。

まとめ

  • 名取燎太選手の就職はコニカミノルタです。
  • コニカミノルタを選択した理由は周りのレベルが高い環境で練習を行うことで、自分を更に成長させるためであると考えられます。
  • 強みは、怪我で練習が行えなくなっても、行えるトレーニングを最大限こなし、復活したときにベストの状態に持っていけるような方法が身についていることです。
  • 箱根駅伝2021においては2区を念頭に、往路での起用が予想されます。
  • 大学は、東海大学に通い、1、2年生の時には怪我に苦しめられレースにはほとんど出ていませんでしたが、3年生から駅伝等レースに出場し、全日本大学駅伝でMVPを獲得するなど、一気に同大学のエース級に成長しました。
  • 高校は、佐久長聖高校に通い、3年生のときに全国高校駅伝および全国都道府県対抗男子駅伝競争大会にて区間賞を獲得しました。
  • 中学校は、長野県の富士見中学校に通い、県大会の駅伝大会で区間新記録を獲得するなど、当時からポテンシャルが高かったです。